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みつ🐊
⇒神は全世界に年を押している。「私は変わることがない。だからイスラエルはこれからも存在し続ける。」何かこれについて問題があるか?歴史を知らない歴史学者、今起きていることを知らない平和ボケした左派、彼らはイスラエルを批判する。彼らがキリスト教徒でないなら構わない。しかしもし彼らがキリスト教徒であるなら、明らかに聖書を読んでいないか、読んだ上で神に挑戦している愚かな人だ。
私たちは愛を持ってユダヤ人に伝える必要がある。「何であれ、以前上手くいかなかったことは、今も上手くいかない。」
⇒宗教は答えになり得なかった。
イザヤ書1章では、祭りを命じたはずの神が「あなたがたの祭りを憎む(アナテマ)」と言った。
神は私たちがしたこと、私たちがそこから生み出したものを憎んでいる。つまり宗教を。「そういう意味では無い」と神は言う。
詩編78編5-8節
「(省略) 神に不忠実な霊の世代とならないように。」
エゼキエル書3章4-7節
「(省略) まことにイスラエルの家はすべて、額も堅く心も硬い。」
イザヤ書1章18-20節
「(省略) かたくなに背くなら、剣の餌食になる。主の口がこう宣言される。」
ローマ人への手紙9章30-32節
「(省略) 義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。」
「(省略) 彼らはつまずきの石につまずいたのです。」
イスラエル人に対して「あなた方はユダヤ人だから既に救われている」と言うことは出来ない。
しかしアメリカでは「二重契約神学」が流行り、これは、ユダヤ人と教会にはそれぞれ別の契約のもと、救いがもたらされるという考えである。
しかし聖書ではイエス自身が、ユダヤ人のニコデモに「人は、新しく生まれなければ(省略)」と言った。
Q.12 今日の神について、何と書かれているか?
マタイ25章31-40節
ここでは全ての民族を、羊と山羊を分けるように裁く。その基準は「イエスをキリストと信じているかどうか」ではなく、「ユダヤ民族に対してどのように接したかどうか」である。
つまりここではクリスチャンでも裁かれる可能性があることを示唆している。
ヨエル書2章17節
「(省略) あなたの嗣業である民を恥に落とさず/国々の嘲りの種としないでください。」
ヨエル書3章
「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。」
もし神が反イスラエル主義を許さないのなら、なぜ教会がユダヤ民族を憎むことが許され、自分たちは天国に行けると考えるのか。それは神の御言葉と矛盾している。
イスラエルの神の御霊を内に宿しながら、髪が愛するものを憎むことは出来ない。なぜなら、そうすればあなたは、神が憎むものを愛し始めるから。
誤解をしないで欲しいのは、もちろんイスラエルは聖人国家ではないため、悪意を持って犯罪をする人もいる。その時は非難することもある。しかし覚えておいて欲しいのは、イスラエルが間違った方向に進んでいると感じた時は、イスラエルを非難するのではなく、神に対して、イスラエルを正しい方向へと導くように祈るべきだ。それはあなたの思う正しい方向ではなく、神が考える正しい方向であるべきだ。
Q.13 イスラエルが完璧だから支援するのか?
イスラエルが完璧だから支援するのではない。もっと言うと、イスラエルは完璧では無いし、完璧にはならない。彼らを愛するのは神によってであり、彼らによってではない。
問題は独善的なキリスト教徒たち全員が、虫眼鏡を持って「おー、、、彼らはまだまだ足りないな。」と言うこと。私はその虫眼鏡をあなた自身に向ける。あなた自身は十分優れているのか。
ユダヤ人がユダヤ人であるだけで天国に入れるとは言わない。しかし初めに、神がユダヤ民族をどれほど愛しているのかを彼らに伝える必要がある。彼らのところに行って異端審問のように、彼らを機械にかけて拷問してはならない。
ローマ人への手11章11-12節
「(省略) 彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。」
⇒言い換えれば、異邦人に与えられた救いは、彼らの妬みを引き起こさなければならない。彼らを憎めば、彼らの妬みを引き起こすと思うのだろうか。
ローマ人への手紙11章1-5節
「では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。(省略)」
ローマ人への手紙11章19-24節
ここではオリーブの木と枝に例えて語られている。神は自然に生えた枝(ユダヤ民族)を容赦なく折ったとすれば、野生の枝(異邦人)にも容赦しない。それに野生の枝が接ぎ木されたことを考慮すると、自然の枝はどれだけ早く接ぎ木されて馴染むだろうか。
ローマ人への手紙11章25-32節
「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。」
⇒忘れてはいけないのは、イスラエルの聖なる神の御霊があなたの内に宿っていると主張しながら、神ご自身が選び、契約を結ばれた民に敵対することは矛盾している。
詩編84編11節
「(省略) 主に逆らう者の天幕で長らえるよりは/わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。」
⇒群衆や多数派に加わらないで、流行を追わず、神の御言葉にしっかりと立つべきだ。例えそれが少数派であっても、そちらの方がいい。
ローマ人への手紙8章31節
「(省略) もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」
ヨハネ福音書16章33節
「(省略) あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
⇒言い換えれば、キリスト教徒は「全て楽しく、全てオッケー」というものではない。「立ち上がって、大胆に、固く立て」ということだ。
世にあってはあなたは世に好かれたいかもしれないが、イエスは既に世に勝っている。
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