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甲斐性無しの甲斐の人

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新発田城

元々の築城は宇多源氏の新発田氏によるものとされる。
新発田氏は独立色の強い揚北衆の中でも特に有力な武士で、一時は長尾氏とも渡り合うほどだったというが、やがて長尾氏に仕えるようになった。
新発田氏の中でも著名なのは長敦、重家兄弟だろう。
謙信の家臣として政戦両略の活躍し、謙信死後に起きた御館の乱でも景勝方について勝利に大きく貢献したが、その時は恩賞を得られずに長敦は失意の中で没し、弟重家は謀反を起こす。
さすが謀反に定評のある揚北衆である。
新発田重家の乱は6年もの壮絶な戦いの末に鎮圧され、そのときに城は破却されたようだが、やがて上杉氏が会津に移されると新たな領主の溝口秀勝が再び新発田城を築城したという。

現在は旧二の丸隅櫓が本丸鉄砲櫓跡に移築されて現存しているほか、江戸時代に再建された本丸表門もそのまま現存している。
他に辰巳櫓と三階櫓が復元されている。
三階櫓は武家諸法度の都合上、櫓と名乗ってはいるが天守閣といって良い迫力で、屋根に鯱が3匹も乗っている独特な形状だった。
また赤穂浪士の堀部安兵衛が新発田藩出身だったようで像が立っていた。

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