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こみま
#ヒトカラ
まだやや声は出づらいものの
昨日よりも大分まし[ほほえむ]
それが良い方に作用したのか
#TENBLANK さんの2曲を含む
幾つかの曲で久しぶりの月ベスト更新[ほっとする]
#合唱発声法 (自称)にしてから
やや低調気味(?)だった
「春風」(家入レオさん)も
久しぶりに97点台が出たものの、
「残酷な天使のテーゼ」(高橋洋子さん)同様
何が得点の良し悪しの決め手となってるか
全く理解できておらず、
当面は乱高下が続きそう[冷や汗]


残酷な天使のテーゼ
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りお子🦪

あい
そして自己嫌悪
母の言うことなんて
はいはいって流しとけばいいのにね
でも流せないや、息子の事言われると
1回も気持ちを理解してもらったことなんてない
この年になっても傷つくわ
ばっかみたい

T

Ruka
同級生の女の子と、その子のお母さんが
家まで訪ねてきて。
また息子が何かしたのかと、
ドキドキしたけど、
「喧嘩に巻き込み、怪我をさせてしまった」
っと、
わざわざ謝罪しにきてくれたのだった。
息子はADHDで、
保育園の時から、ずっとトラブル続きで、
下げる頭が無いくらい頭を沢山下げてきて。
去年のクラスは、学級崩壊がおき、
(授業中に、数人の生徒が大声をだして、走り回ったり、喧嘩したり、床に寝たり。イジメがあったり)
私は、休みの日は学校に行って息子を
見守って、他の子達にも声をかけていた。
度々、親御さんから謝罪しろって電話もあったりして。
私は、ずっと息子が皆に迷惑をかけているのだと思っていた。
だから、
息子に毎日、大好きだよって伝えながら。
下を向いて歩いていた。
その女の子もお母さんも、
そんな私を知っていてくれて、
また、他のママさん達も、
私が学校に行って息子以外にも、
話しかけて学級崩壊しているクラスの
中に入って子供達に声をかけていたことを、
知っていてくれていた。
あの時も、他のお友達が原因で
息子は被害者で、いつも巻き込まれていたこと。
学校の対応が悪すぎたって教えてくれた。
でも、皆、学校任せで、口だけだして。
あんなに頑張っていたママは、他に居なかった。
だから息子くんは、
今、皆に愛されているって。
教えてくれて。
私は、嬉しくて、嬉しくて、
頑張って良かったなぁって。
ずっと泣いてしまい。
息子と娘を抱きしめて、
ごめんとありがとうで、
涙が止まらなかった。

宇都宮順
帯椀 稀能毘
ただでさえ、今のGRAVITYの仕様では画像の表示順が変なのに、置き換えで更新タイムスタンプがオリジナル通りでなくなるともう訳が分からなくなる。
とりあえず、できそうな対策を実施中。
#ひとりごとのようなもの

宇都宮順
ゴトー(と🐱)
庶民の便利な足であったこのそりですが、当然ガキどもは普通には乗らず、テンションMAXでカッ飛びます。歌詞の中に出てくる“Two-forty as his speed”とは、当時の馬の速さを示す基準であるところの「1マイル(約1.6km)をどれぐらいの時間で走れるか」という数字でした。「2分40秒」というのは換算すると36km/h、当時の感覚では雪上でそり牽引でこのスピードはとんでもない俊足でした。当然すっ転びまくるわけですが、転んだって雪の上。お構い無しにまたかっ飛ばしていくのです。おめーら元気だなってなもんです。当然、親の目を盗んで一晩中走り回ります。「シャンシャンシャンシャンうるせーぞ悪ガキどもが!」ってな感じで、まさに暴走族と言っても過言ではないでしょう(私見)
そしてそんなんがモテたりするもんだからわからんもんです。曲中でも華麗な走りを決めたらファニー・ブライト嬢の心が射止められんとばかりにポンコツ馬をすっ飛ばして雪だまりに突っ込んだりしています。馬鹿ですね。
そしてそんな様子を、「まあまあ、俺たちにもあんな時代があったじゃないか、なあお前」ってなもんで村社会全体がそれを許容する空気があったのではないかと、まあ想像するわけです。度し難い。
この詩を作ったのはどっかの牧師さんで、自分の教会での感謝祭に向けて作ったと言うことですが、まあなんというかこの牧師さんも少年時代は大変面倒な子だったようで、Wikipediaから引用すると、
1832年、ジェームズは10歳でニューハンプシャー州の寄宿学校に送られた。1年の間に何度も学校を脱走した後、彼は母親に宛てた手紙の中で、学校が12月の雪の中をソリを走らせて、彼が脱走するたびに彼を探し出して連れ戻してくれたことについて書いた。彼はソリの鈴の音を聞き分けてソリが近くにいることを知るようになったため、彼を捕まえるのはますます難しくなり、これが「ジングルベル」の歌の由来となった。また、彼はソリを引いている馬を矢で射殺しようとしたこともある。1836年の最後の脱走で、ジェームズはシャーク号という捕鯨船に乗って海へ逃げた。
だそうで。まあだから陰気で説教臭い普通の坊主とは違い「おい、あの坊さん、結構話せるぞ」ってなかんじの、人間味あふれる坊さんであったと考えられます。
そんな生臭坊主が書いたジングル・ベルも今ではすっかり毒気が抜かれてしまいましたが、当時はこんなんであったに違いないと断言します。知らんけど。


あま
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根尾くん、打席たてなくなっちゃうな…
大谷ルール採用されたらいいな
というよりDHで使ってよ、活躍すると
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✼••
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