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甲斐性無しの甲斐の人

甲斐性無しの甲斐の人

新府城

武田勝頼の一世一代の大築城事業によって築かれた、武田家最後の砦にして武田流築城術の最高傑作。
高天神城が攻略され、劣勢の挽回が難しくなってきた武田勝頼は織田家との和睦と同盟を模索しつつも、徳川家とは徹底抗戦の構えを見せていた。
それまで武田家は甲斐国内に大規模城郭を築かず、信濃や駿河などに築城をしていたが、ついに甲斐に本格的な攻城戦に耐えうる城郭を築くことを決断。
七里岩の断崖を利用し、後ろ堅固の城として突貫工事で大きな平山城を築いた。
またすぐ近くには釜無川が流れており、水運による経済の構築に期待したともいわれる。
だが、築城から2ヶ月程経った時には織田の甲州征伐軍を相手に防戦することを諦め、勝頼自ら城に火を放って落ち延びた。
その後は天正壬午の乱で徳川家康によって陣城として一度使われ、乱が終わると放棄されたようだ。

この城跡の最大の見所はやはり大手門跡だろう。
高い土塁によって形成された両袖枡形虎口の外に、さらに丸馬出と三日月堀を設け、その丸馬出にある二つの出入り口にも小さく枡形状に土塁が築かれている。
搦手門も大手門ほどの規模ではないものの、綺麗に両袖枡形の虎口が築かれ、深い堀も掘られている。
またこの城にしか見られない遺構として出構がある。
他の城に同様の遺構がなく、新府城でも籠城戦は起きなかったため、用途は未だにわかっていないが、出丸のような反撃用の施設という説や、水堀の水位を調節する施設という説がある。

大手門跡からは富士山が、本丸の北側にある土塁上からは八ヶ岳が望めるため、景色もとても良い城跡だった。

#一日一城
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