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にゃおん
石破さんの辞任表明を契機に、それでもきっと次の政権も国民も苦しむだろうな、という所感について述べてみたいと思います。
軸は、失われた30年とやらで、本当に失われたのは何かについての持論です。
経済はむしろ瑣末で、失われた致命的なものは「理解をする時間」だったと思っています。暴論になりますが、景気は浮き沈みするもので、これまでも数値上は好景気と不景気を繰り返してきましたし、ある程度の競争が必要な社会の中で勝者、敗者が別れることは必然です。
ですが何故、必然がもはや支障となるほど今の日本で敗者が絶望し、あるいは敗者のマインド(被害者のマインドと言い換えることもできるかもしれません)に浸る層が増えたのでしょうか。
理由は様々ありますが、ごくごく簡単に済ませるならば、過去の日本の繁栄と全く真逆の構造への変化が自然的に進んでいて、社会システムそのものがトレードオフを抱えているということを「理解」できず、畢竟、自らの欲求との矛盾を平穏に処理することができないからと私は感じています。
この「理解」は決して簡単ではなく、諦めにも近いものがあり、それ故に時間も要するのですが、思想家が近年目立ったくらいで社会全体としては数十年間、全く理解が進まないまま構造変化が末期段階に差し掛かっているのが現在ではないでしょうか。
政治に話を戻しますが、そもそも政治の領域で可能なこと自体が相当に限られています。それでも建設的に生きるならば、政治にはできる限りの改善を要求しながら、「理解」に裏打ちされた理性でもって自らの欲求との矛盾は受け入れる方が生きやすいはずです。その方が政治のレベルも上がるのではないでしょうか。しかし、前述のとおり、理解は進みませんでした。この矛盾が平穏に処理されない結果、それは社会の歪みとなって現れ、個人の領域での治安の悪化から政治の機能不全まで様々な事象をもたらします。
ところで、矛盾の平穏な処理は、何も個人による「理解」だけでなく、歴史的にはむしろ「宗教」によって果たされてきましたが、昨今はかなり力を失っている模様です。代わりに世を席巻しつつあるのは娯楽性を伴った陰謀論、認知バイアスを全力で助長するネットコミュニティ。
ある意味、失われた30年やら40年やらよりも恐ろしい時代が来ているように感じますが、これも歴史の中の一パターンか、と思ってしまえば私の中の矛盾がほんの少し、平穏に処理されるのでした。
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堀川

かわつ
KOBELCO森の歴史は?
KOBELCO(神戸製鋼所)の歴史は、1905年に設立されたことに始まります。最初は鉄鋼業からスタートし、その後、様々な産業に進出しました。
1920年代には、鉄鋼の生産を拡大し、特に戦後の復興期には、国内外での需要に応えるために技術革新を進めました。
1960年代には、建設機械の製造に着手し、特に油圧ショベルやクレーンなどで高い評価を得るようになりました。
1990年代には、環境への配慮からリサイクル技術の開発に力を入れ、持続可能な社会の実現に向けた取り組みを強化しました。
現在では、鉄鋼業だけでなく、建設機械、エンジニアリング、環境関連事業など、多岐にわたる分野で活躍しています。
KOBELCOは、技術革新と環境への配慮を両立させながら、長い歴史を持つ企業として成長を続けています。

おたこ

ねこね
ジャックも強いなと思ってたけどしっかり上位だった

鳴(まま

ドミン
あと何分の命とも知らずによォ

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らら

上杉達
昆布貼っときゃ良かった
やはり高いトラフグは違うんだな
高すぎて買えんけど

こーき
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早くに目覚めた土曜日
国民の認知力は様々な解決になるものと考えています。考える時間を支えるものとしても。 僕は結構教育に関心があり、教員でもないものの学習指導要領を今でも見るんです。実は文科省を第一に考えていました。 生まれながらに備わった認知力はさておき、方法論だけでなく論考するという習慣を幼少から持てば違うと思うんです。 子供らを見てもそう思います。 総合的学習の時間の一部はそうであったはず。限られた時間のなか取捨がいるとはいえ。ここは方法論と思います。後々から内容を例示するに至ってますし。
早くに目覚めた土曜日
個々が確かな論理に則ってそれぞれ推論・論考して評価せず、結論のみを受け取ると、それが現実や理想からの乖離に何が起因するか理解できないままとなります。 信頼性やフィールドがいかであろうとメディアに踊らされている人が多く見えます。 昔からそうなのか、比較はしていませんが。 失われた30年で、平均収入と物価を見るに日本国内で単位時間に生み出される対世界価値はかなり下がってきてますね。 関税がどうの、と対処療法せずに、技術を裏打ちする法整備なり、財政なり進めねばなりませんね。早すぎてもドイツの太陽光のようになりますが。
パピコ
お久しぶりです。 内容を拝読させて頂きました。 私の読解力では完全な理解は出来ませんでした……。 まず失われて致命的なもの、というものが「理解をする時間」であり、矛盾を平穏に処理する時間が足りなかったとの事でしたが、 私はこの点で異なる意見です。 「情報の隠蔽生と議員の対応能力」 だと思っております。 メディアがオールドメディアと揶揄されるようになったのと今の政権が傾きはじめたのは同じタイミングだと思います。 私は宗教を否定する気はありせんが、全員で特定の情報を信じる一種のマインドの統一の面があると思います。失態や失策がありのまま報じられるようになって政治への神格化が無くなったのではないのかな
Yuu
なるほど、相変わらず素晴らしいです笑 共感できます。 失われたのは経済的な繁栄という所かと思いますが、まぁ〜必然というか中国が伸びて韓国が伸びて、その分を日本が取られたのと、インターネットのソフト部分が日本は英語圏でないという事もあって、世界的なサービスを生み出せなかったというのもあるかと思います。もう失うとか競争とかそんな世界線ではなく、美味しい食べ物、美味しい水、優しい文化の日本に価値を見いだしていくことでいいんじゃない?!って思えてきます。くだらない給付金ばらまき、大阪万博やカジノリゾートや軍事費の膨大やら高齢化社会やらまだマイナス要因はありつつもスマートな政策に期待したいです。
パピコ
お久しぶりです。 政治に関しての状況はかなり一変しておりますね[泣き笑い] 一読して内容が理解出来ずに勉強不足を痛感している所です。 異論、見解は異なるものだと思いますし、「理解をする時間」が失われたという切り口では考えた事がなかったので、考えさせられました。 議員の対応能力については同意見です。 高いレベルへの議論が求められない、についても同意見です。 「回答を差し控える」で済まされる風潮など高いレベルの議論は議員自身が避けている気もしています。 ふと原因が気になりましたが、教育課程かもしれませんし、メディアの情報規制もあるかもしれませんね。[びっくり]