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一言居士
地方議会と市民と「再生の道」
今回はこの関係性について、信号機と横断歩道と市民に置き換えて考察をしました。
まちの交差点には信号機があります。赤は「止まれ」、青は「進め」。誰もが知っているルールですが、実際には赤信号でも渡ってしまう人が少なくありません。ルールがあるのに守られない、それが「信号無視」です。
この構図は、いまの地方議会と市民、そして改革を訴える人たちの関係にもよく似ています。
本来、日本の地方政治は「二元代表制」といって、市長などの執行部と議会がそれぞれ市民の代表として独立し、お互いにチェックし合うしくみです。しかし、最近ではそのバランスが崩れ、「執行部の提案は議会で100%通る」というような状態が目立っています。これはつまり、議会(議員)が「赤信号」を見ても止まらず(止めず)、すべてを通してしまう 「信号無視」のようなものです。
こうした中で、「再生の道」のような新しい政治の動きが出てきました。彼らは、「信号は守るべきだ」「ルールを正しく使おう」と訴える人たちです。信号を守って立ち止まる人であり、周囲に「そこは止まるべきですよ」と注意を促す人でもあります。つまり、本来あるべき二元代表制や議会の働きを取り戻そうとしています。
しかし、多くの市民はその声にあまり耳を傾けません。なぜなら、自分たちもまた、赤信号を無視して渡ることに慣れてしまっているからです。政治に無関心であることや、「誰がやっても同じ」とあきらめてしまうことは、信号無視を見ても何も言わず、時には一緒に渡ってしまう姿勢と重なります。そうしているうちに、信号のルールそのものの意味が失われていくのです。
このままでは、事故が起きても「誰が悪いのか」が分からなくなってしまいます。政治の世界でも同じです。議会が本来の働きを失い、市民がそれを止めようとしなければ、いざ問題が起きても責任の所在が不明確になり、社会の健全さが失われてしまいます。
だからこそ、いま必要なのは、「信号を守ること」にもう一度意味を見出すことです。それは単に形式的にルールを守るということではなく、社会の正しさと安心をつくる行動です。「再生の道」のような声がもっと広がり、ひとりでも多くの人がその意味に気づくことが、地方政治を立て直す第一歩となると思いました。
しかしルールは絶対的ではないので、緊急車両が通る場合などは柔軟に対応をしなければいけません。
こんな事を考えつくきっかけになった、
今回の都議選は楽しませて頂きました。
コメント
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まき🐬

みあに
オギャァァァは何を表しているのか?
オギャァァァは、主に赤ちゃんが生まれたときの泣き声を模した表現で、特に日本のネット文化やSNSで使われることが多いです。この言葉は、赤ちゃんの誕生や新しい命の誕生を祝う意味合いを持っています。
感情の表現: オギャァァァは、喜びや驚き、感動を表す際に使われることが多いです。特に、赤ちゃんが生まれた瞬間の感情を強調するために使われます。
ネット文化での使用: この表現は、特にTwitterや掲示板などのオンラインコミュニティで流行しており、赤ちゃんの誕生を祝う投稿や、可愛い赤ちゃんの写真に添えられることが多いです。
親しみやすさ: オギャァァァという言葉は、可愛らしさや親しみやすさを感じさせるため、赤ちゃんに関連するコンテンツでよく使われます。
このように、オギャァァァは赤ちゃんの誕生を祝う楽しい表現として、特に若い世代の間で広まっています。

ぼん

しゅう

撫井

まどか

眠井

オマー

夜風@koh

ソレイ
オギャァァァの由来は?
オギャァァァの由来は、主に赤ちゃんが生まれたときの泣き声を模した表現です。この言葉は、赤ちゃんが生まれた瞬間の「オギャー」という声を強調して表現しており、特にネット文化やSNSで使われることが多いです。
文化的背景: 日本のネットスラングとして、オギャァァァは赤ちゃんの可愛さや無垢さを表現するために使われることが多いです。特に、赤ちゃんや子供に対する愛情や親しみを込めて使われます。
使用例: オギャァァァは、赤ちゃんの写真や動画に対してコメントする際に使われたり、可愛いキャラクターや動物に対しても使われることがあります。
この言葉は、特に若い世代の間で流行しており、感情を表現するユニークな方法として定着しています。
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はな(n)
再生の道は有権者よりも政治家や候補者、グレーなマスメディアに緊張感を与える稀有な存在でしたね[星]
はた坊
42人全員落選という歴史的赤っ恥、 今回の都議選は楽しませて頂きました。
k(CV:五ェ門)
一言居士さん。 再生の道の話ははさておき、そもそもの話として、議会というものは、執行部の事前根回しがほぼ全てという面がありますよね。それは、首長与野党会派問いません。応援には応援なりのシナリオがあり、批判には批判なりのシナリオがある。全てシナリオどおりだから、居眠りしてしまうのですよ。全て分かっているから。結論が。 かつて、長野県で田中康夫知事が誕生した際、県議会と激しくぶつかりました。 結局、田中氏は長野を去ることになり、田中氏の知事時代に県庁に盛り込んだものは、次の知事により一掃されましたけれども。 議員、政党を通じなくても、市民自らがやれることもあります。 行政の監視については。
肩こり十郎
わかりやすいように説明しているようで核心がわからない文章。 石丸さんみたい