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へーさん

へーさん

#女性

エスペランサにしろ、この人にしろ、女性のベーシストには癒しを頂いてます。タルにもね。

ベースってさ、調和の役ではないですか?

jazzだろうがR&Bだろうがロックだろうが、音全体をコンポーズしているよね。
ライブなんか行くと、どのパートにも一番気を張りめぐらせ、アイコンタクトをしきりにやる。サッカーだと8番。

なにが言いたいかっちゅうとですね、ベーシストは政治家で、彼らが職能において優秀であれば、そのカルテットなりオーケストラなり、はたまたブランキーのようなトリオもいい作品やライブをつくりあげますね。
つまり集団をうまーくまとめるんだと思います。

で、上記ベーシストの彼女たちなんだけども、時に荒れ狂い、とんでもない方向に走る集団を、女性の素晴らしい特性でうまーくまろやかにしてしまうんです。

そしてその特性はご存じの通り、「調和」なんです。

ここで話しは突然でかくなります。

卑弥呼然り、クレオパトラ然り、メルケル然り。彼女たちは女性の特性である、調和の力でなんとか難局を切り抜けてきました。
時々とんでもない女性の長がいますがやはり調和を取っているのです。
あの西太后でさえ、実は調和でまつりごとを行なっていたんです。
そして男の我儘に付き合わされた彼女たちが居なくなれば、草木ひとつ生えなくなったじゃないですか。

ここでまた、女性ベーシストの話になります。
彼女たちがいるからこそ、男が中心で動かしてきた音楽の世界は、息を吹き返しつつあります。
そして音楽は世界をまろやかにして、安定を取り戻す力を持っていると、俺は信じています。

女性を鎖に繋ぐ阿呆な男がいるかぎり、世の中つまらなくなるんです。そしてくだらぬ争いばかり。
もちろん、俺も、もれなくど阿呆の一人ではありますが。

男どもよ、少し落ち着いて自分の心に耳をかたむけようぜよ。
俺たちゃ何かと争いばかり。いつも争い。
もうやめようぜ。勝負もいいが、ほどほどにしないととんでもないことになるぞ。

と、自戒を含めてこんな長文書きました。

ヒトってさ、男女から生まれるからそこそこ栄え、自然の片隅で生きていることを、やっと許されているのを忘れてしまっている。つまり多様性ってやつで生き延びてきた。

儚く、弱い情けない生き物であるヒトは、大脳だけが進化した、互いの首の締め合いだけが突出して発達した生物にすぎぬ。
気の立った雄鶏に、素手では到底敵わない弱い弱い生物なんですよ。

だからさ、やめようぜ。
もう、いいだろ?
よわいもん同士の醜い争い。

助けあわないと生きていけないのはわかってるのにな。

情けない。

と、すぐ頭に血が昇るおれが言う…。
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Fantasiestücke, Op. 73 (Arr. for Double Bass and Piano by Thomas Martin): III. Rasch und mit Feuer

ロレーヌ・カンペ & ナタナエル・グーアン

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