キョンが読者(視聴者)のことを認識して語りかけてくるなら、それは涼宮ハルヒの憂鬱という作品の中に「読者(視聴者)」が認識としてあることになるから、涼宮ハルヒの憂鬱を読んでいる、見ている人がいるという時点で既に「異世界人」(我々)はハルヒのもとに来ていることにならないだろうか