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🌴たかし⛺
大阪の陣の本陣跡 茶臼山を出発して、難波の崎までの上町台地観光ルート続き(その2)
A 仁徳天皇高津宮址 碑
明治32年大阪市が仁徳天皇1500年祭を行うにあたり、大阪府立高津高等学校に仮説的に高津宮跡とした。
B 真田丸跡
2016年大阪明星学園のテニスコート東側に「真田丸顕彰碑」が建てられた。最近の調査で敷地付近と推定されている。大坂夏の陣で徳川に埋められた大阪城の空堀付近に空堀通りという道路名称がある。
C 心眼寺
寺紋は真田家の家紋と同じ六文銭である。1592年頃に創建されたが、大坂冬の陣で真田丸として整備した際に取り込まれ、終結後に真田丸とともに破壊された後、1622年信繁と子の大助の菩提を弔うため再建された。入口に出丸城跡の碑がある。
D 三光神社
大坂城から真田丸まで掘ったとされる抜け穴が社殿の下に残っている。しかしながら、現在残っている抜け穴は真田信繁が造ったものではなく、真田丸を攻めた前田利常軍の塹壕の痕跡の可能性も指摘されている。大坂夏の陣図屏風(黒田屏風)に描かれた真田信繁を元にした像がある。
E 玉造稲荷神社
紀元前12年、垂仁天皇によって創建された。大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。豊臣時代に続き、徳川時代も大坂城の鎮守とされた。玉造の地名は古代、勾玉などを作っていた玉作から玉造となったとされ、創祀二千年を記念して境内に難波・玉造資料館が開館した。
F 難波宮遺跡
難波高津宮
古墳時代の法円坂遺跡 倉庫群が見つかり、この辺りの難波堀江(人工運河)開削と難波津(王権の港)の関連遺跡ではないかとされている。
313年即位元年、仁徳天皇は、都を大伴氏などが本拠を置いていた難波の上町台地、難波高津宮に遷した。
前期難波宮(難波長柄豊碕宮)
1958年、焼けた宮室の柱跡及び1960年、廻廊跡を発見。孝徳天皇が651年に遷都。654年、孝徳帝の没後、斉明天皇により飛鳥板蓋宮に遷宮された。
後期難波宮
1957年、廻廊跡及び1961年、聖武天皇時代の大極殿跡を発見。726年に聖武天皇が平城京の副都とした。その後、平城京から恭仁京へ遷都を行っているが、744年に難波京への再遷都。745年に難波京から紫香楽宮への遷都が正式に発表された。









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ガッツリイキの由来は?
ガッツリイキの由来について説明するね。
言葉の成り立ち: 「ガッツリ」は、しっかりとした、またはたっぷりとしたという意味を持つ言葉で、特に食べ物や行動に対して使われることが多いよ。「イキ」は「生きる」や「行く」という意味があり、特に活力やエネルギーを表現する際に使われる。
文化的背景: この言葉は、特に日本の若者文化やネットスラングの中で生まれたもので、元々は「ガッツリ食べる」や「ガッツリ遊ぶ」といった表現から派生している。つまり、全力で何かを楽しむ、または取り組む姿勢を示す言葉なんだ。
使用例: 例えば、友達と一緒に食事をする時に「今日はガッツリイキたいね!」と言えば、たくさん食べたり、楽しんだりしたいという気持ちを表している。
このように、ガッツリイキは、エネルギーや活力を持って何かに取り組む姿勢を表す言葉として、特に若者の間で広まっているんだ。

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林和希
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