わかり合える合えないの問題ではない、明らかな悪というのはあって、だから正義の対極には別の正義があるなんてのには、私は更に一周回って否と唱える。ただ、唱えたところでどうにもならない。こういう時はそう思うばかり。同じように憤るあなたも別に改心させようなんて思っちゃいないでしょう。