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🌴たかし⛺

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歴史のとりとめない話し(その17)

現在の大阪城は誰が建てた大坂城の復興天守閣なのか?

1枚目は、現在の大阪城の復興天守閣(軒側)
2枚目は、現在の大阪城の設計図(軒側)
3枚目は、現在の大阪城の復興天守閣(妻側)
4枚目は、現在の大阪城の設計図(妻側)

5枚目は、豊臣秀吉の大阪城の模型「よく大河ドラマに出てくる黒壁のきらびやかな天守閣」
6枚目は、大坂夏の陣図屏風
7枚目は、大坂城図屏風

この天守閣のイメージをすると現在の大阪城は豊臣期の大阪城ではないとイメージしてしまって、徳川時代の天守閣では無いかと勘違いしてしまうのも当然だ。

8枚目は、徳川の大坂城の設計図(妻側)
(徳川の大坂城は最上階に廻廊が無い)

1代目の天守閣は、1583年〜1598年、羽柴秀吉が大坂本願寺あとに大坂城を築いた。1615年落城により焼失。約17年間(豊臣は黒っぽい真壁の外観)

2代目の天守閣は、1620年〜1629年徳川秀忠が豊臣時代の石積みを埋め立て築造した。1665年に焼失。約39年間(徳川は白っぽい大壁の外観)

そして、3代目の天守閣は1931年竣工。外観は『大坂夏の陣図屏風』を基に、大阪市土木局建築課の古川重春が設計、意匠は天沼俊一、構造は波江悌夫と片岡安、施工は大林組が建設し、現存する日本最古のSRC造となった。

1934年発掘調査で、豊臣期の埋められた石積みを発掘。1935年徳川幕府の京都大工頭だった中井家で、豊臣時代の「大坂城本丸図」が発見され、豊臣時代の遺構であると確定し、豊臣期の天守台の位置が現在と全く違った場所であることが発覚した。

9枚目は、大坂城本丸図

現在の大阪城の城郭周辺には、徳川期の遺構しか残っておらず、徳川期の天守台に白っぽい外観で建てたので、徳川色が強く感じるのは否めないが、最上階に廻廊を設置し、豊臣期の大坂夏の陣図屏風を参考に外観を整えているので豊臣期の大坂城で間違いない。
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コメント

Blue Ocean

Blue Ocean

1 GRAVITY

現在の大阪城は同じく徳川普請の名古屋城っぽさもありますね。 豊臣普請はどことなく安土桃山期の安土城、岡山城に似た雰囲気を感じます。

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