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🌴たかし⛺

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歴史のとりとめない話し(その16)

大阪城が建つ上町台地にある「難波の碕」は、歴史的に重要な変遷を経ている凄い所で、非常に興味深いところだ。難波の宮跡から大阪城の遺跡や石山本願寺の遺跡など多数発掘されている。

「難波の碕」には、神武東征以前より創建され、日本列島の神が祀られている生國魂神社があった。現在地に移転。

神武天皇が東征時に「難波の碕」に上陸し、河内湖を渡り、大和の橿原に奠都している。日本統治の足掛かりとなったゆかりの地とも言える。

1枚目は、古墳時代の難波の碕の地図
2枚目は、神武天皇が降り立った難波の碕の碑
(所在地:大阪天満宮敷地内)

神功皇后の三韓征伐をきっかけに仁徳天皇は、百済王氏族を難波(百済郡)に迎え、仁徳天皇は難波堀江や茨田の堤などの治水工事を行い、皇居を難波高津の宮に移している。

3枚目は、高津宮神社の隣りの大阪府立高津高校敷地内の高津宮地碑

645年大化の改新以後、難波の宮に遷都し、副都として、116年続いた。その間に白村江の戦いに敗戦し、百済が滅亡している。

難波の宮は、その百済系渡来人の技術により初めて中国様式の礎石、瓦屋根で作られた。

4枚目は、難波の宮跡地の碑
5枚目は、難波の宮の模型

1533年頃、上町台地に石山本願寺に本山を移した。

6枚目は、大阪城内の石山本願寺推定地碑
7枚目は、石山本願寺の復元模型

1570年、織田信長との石山合戦により石山本願寺が敗北し、本願寺の変後に豊臣秀吉が大阪城を建て、天下を取っている。

8枚目は、石山合戦の地図

1614年、徳川家康は、大坂の陣により豊臣秀頼を倒し、天下を取っている。

9枚目は、大坂の陣の地図

1868年、大政奉還後、鳥羽伏見の戦いの敗戦を知り、大阪城から江戸城へ脱出し、江戸幕府の幕が閉じた。

以上が大阪城がある上町台地「難波の碕」の変遷です。

ちなみに「難波の碕」の碑がある大坂天満宮の場所は仁徳天皇の難波堀江の治水工事で、上町台地と分断されているが、以前は陸続きであった可能性が高い。
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