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甲斐性無しの甲斐の人

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土浦城

元は小田氏の支流若泉氏による築城とされる。
その後小田家家臣の菅谷勝貞によって攻め取られ、以降三代に渡って菅谷氏の居城となったという。
小田家内部でも争いがあったということだろうか。
菅谷氏は小田家の忠臣として有名で、特に勝貞の息子政貞は度々居城小田城を奪われる小田氏治をこの土浦城に迎え入れて、小田城奪回を支え続けた。
やがて小田家が大名家としては滅亡すると、小田氏は結城秀康に仕えて越前に行き、一方の菅谷氏は小田家への忠誠を評価されて幕府の旗本に取り立てられた。
そして小田城が廃城となった一方、土浦城は譜代の家臣が治める城として残っていった。

城としては本丸と二の丸が残るのみだが、水堀に囲まれており霞門や太鼓櫓門が現存しており、前川口門も移築を繰り返しながら現存している。
太鼓櫓門は関東の城の中では唯一、本丸内の櫓門が現存している。
構造は独特で、櫓部分に入るためには梯子を使っていたのだろうか。
また土塁も一部残存していて、西櫓と東櫓が復元されており、東櫓は霞門と土塀で繋がっている。
私が行った時はちょうど桜が満開で、お祭りの屋台も出ていた。
東櫓とお城のすぐ隣にある博物館は入場券が共通で、合わせて200円と格安だった。

#一日一城
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コメント

しえる

しえる

1 GRAVITY

イカ焼きの画像もくださいꉂ🤭‪𐤔𐤔‬

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大判焼きで勘弁してくださいw
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