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Lia

Lia

「付き合っている」ってなんなんだろう。恋愛って「好きだから」「一緒にいて楽しいから」という純粋な気持ちで始まるはずなのに、なぜわざわざ「付き合う」という形式をとるんだろう。周囲に「遊んでいる」と思われないためだったり、関係を公にすることで安心感を得たり、相手を独占する欲求を正当化するためなのかな?でも、もしこうした動機が理由なら、それは健全じゃない気がする。恋愛が他人の評価や所有欲に左右されているなら、本当に個人の幸福につながっているのか疑問に思うし、「付き合っている」というラベルが感情の本質を曖昧にしてしまうものになってしまっているんじゃないかと思う。加えて、今の社会では「友人以上恋人未満」みたいな関係や、恋愛感情を伴わない親密なつながりが曖昧なものとして扱われがちな傾向があって、「付き合う」という枠組みが固定化されているせいで、人間関係のあり方が不必要に狭まってる気がする。結局のところ、「付き合うこと」がただの感情の表現を超えて、社会的な承認や独占欲の正当化に利用されているだけなら、恋愛は自由と言えるのかな?無駄に考えすぎな気がするけど他の方はどう思われるか意見を頂きたいです。長文失礼しました。

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コメント

シフ

シフ

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仰ることは分かりますが、 『付き合うという行為が私の言うような内容にならない人』にとって、『付き合うという行為は制約にならないので問題ない』のでは? 『人間関係が狭まる』のは付き合うという行為を真摯に考えている場合だけですよ。それを重く考えない人にとっては単なる称号のようなもの、深く考える人に取っては自分と相手を律するもの、でどちらでもプラスだと思います。 『浮気する人がいるから意味をなしていない』ではなく、『浮気する人がいるから律する仕組みが必要』だと思います。

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えいじろう

えいじろう

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曖昧な状態って不安だったり苦しかったりするから関係性をハッキリしておきたいんじゃないでしょうか

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Lia
Lia
確かに、「付き合う」っていうラベルは、お互いが「私たちは特別な関係だ」って確認し合う手段ではありますね。でも、そのラベルがないと信頼できないとか、関係が成り立たないってんなら、その信頼自体がそもそも薄っぺらいんじゃないかって気もします。本当に相手を信じてて、気持ちが通じ合ってるなら、「付き合ってるかどうか」っていう形式に頼らなくても、安心感って自然に湧いてくると思うんです。
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シフ

シフ

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『人間関係のあり方が不必要に狭まっている』に関しては、例えば『浮気』も人間関係の一種ですが、それをしにくくすることは不必要でしょうか? 『意味があって敢えて狭める行為』だと思いますよ。 相手を独占、ではなく、『互いに独占』する宣言だと思うんですよね。別に相手を他の人に取られていいなら付き合わなくても友人でいい。自分が他の人にも靡くなら付き合わない方がフットワークが軽くなる。つまり、相手の独占もですが、『自分の浮気も罪になる』ようにしています。 結婚まで行けば『感情が変わっても添い遂げる責任』が発生します。今好きである、だけでは足りないかと。付き合うというのはそのお試しのようなものだと思うので

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Lia
Lia
まず、「互いに独占する宣言」というのは、双方が同じ気持ちで明確な合意を持てれば素敵な約束になり得ます。でも、現実には「付き合う」ことの意味って、人によって結構違いますよね。たとえば、ある人には「他の異性と二人で会わない」が大事でも、別の人には「気持ちが他に行かなければいい」とゆるやかだったり。SNSで異性と絡むのが気にならない人もいれば、それが許せない人もいる。「浮気」の定義すら人それぞれだから、「付き合う」ことで独占がきれいに成立するかというと、ちょっと曖昧さが残る気がします。そう考えると、この宣言が関係をしっかり支える枠組みになるとは限らないかもしれないですよね。
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ゴエモン

ゴエモン

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「付き合う」のボーダーも国や文化で違うし、 一対一の関係を「付き合っている」とするならその始まりと終わりも当人の意識次第。 客観視するなら、一対多や多対多も考えた上で一対一の見直し大事ですね。 そんな文化の理解の一助に、マンガだけどおすすめの本 KAKERU「科学的に存在しうるクリーチャー娘の観察日誌」

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