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ルナ
人って何故か他人へ『普通はこうなんだよな』とか『こうであるべきだ』っていう考えが過ぎる。
それはあくまで個人の考えであって、他人へ伝えるべきでは無い。
でも、人は『自分は正しい事を言っている』と思い込む。
違うよね。
それはあくまで他人の考え方。
私の考え方では無い。
いろんな他人と関わって生きてきて、今の私はこれだけは言える。
『私は私だから』って。
過去の時も、自分を認めてあげられれば良かった。
学生という長い期間、本当に良い記憶がない。
私は他人から言われた事を、出来なければいらない人になるとまで思い込んでいた。
先生にも差別され、生徒からのいじめは消えない。
心の傷は誰も見えないけど、ずっとぼろぼろだ。
どれだけ言葉にしても、『まぁそれは過去だし』って言われた。
私にとっては辛い過去があって、今があるっていう経験を見ているのに…過去の私はいらない私だったとも思いたく無い…。
ってそんな辛い時期にオンラインゲームをしていたら、今の彼(ASD)と15年の仲になっていた。
引きこもる前から彼とは仲良くなっていた。
引きこもってからも、彼だけは『それが君でしょ?何が悪いのか俺には分からない。そもそも一般的が分からないから』って言っていた。
その言葉は今もずっと覚えている。
今度は私が彼の拠り所を作りたい。(*´-`)
まぁ今の所音信不通続いてるけど。w
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アテクシィとは何ですか?
アテクシィは、特定の文脈において使用される言葉で、一般的には「私」という意味を持つ一人称の代名詞です。特に、女性が自分を指す際に使うことが多く、カジュアルな会話や親しい関係の中で用いられます。
使用例: アテクシィは友達と一緒に出かける予定です。
特徴: アテクシィは、他の一人称代名詞(私、僕など)と比べて、より親しみやすい印象を与えることがあります。
この言葉は、特に日本の若者文化やサブカルチャーにおいて、独特のニュアンスを持つことがあります。

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他人は勝手に相手の基準を決める。その上、固定観念を押付け、レッテルまで貼り付ける人もいる。 昔の人は言った。 「十人十色」 皆違ってみんないい。 いつからこんな世の中になったんだろうね? 向上心として人と比べるのは悪いことじゃない。でも、人を蔑むために比べたりするのは良くないと思う。 過去の辛い思い出や経験は今の自分を作ってくれている。それは変わることのない事実だと思う。色んな経験や選択をしたからこそ成長してるところもあるし、未だに足踏みしていることもある。 それを否定していいわけが無い。 だって、今も一生懸命生きている。 悩み苦しみながらも踏ん張って生きている。すごいことだと思う。
せみころん
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