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サタケ
けれど、そう感じてしまう瞬間がある。信念を貫く人は孤独な人だと誰かが言っていたが、平等を貫く信念のもとには社会正義こそあれど、その人自身にとっての愛する人の存在は、そこまで重要視されていない気がしてしまう。
そう考え始めると、差別主義者ほど身内にだけ特別扱いするし、特定の誰か(主に自分だが)だけを守ろうとする傾向にある気がしてしまう。
自分さえ良ければ良い。もしくは、自分の大切な人さえ良ければ良いという感覚。自己愛のこと。
ここで言う愛というのは、自己中心的な欲求であって、それだけが愛の全てではないとは思っている。愛の定義が違うのかな。でも、結構と巷でみんなが使っている「愛」というのは、自己中心的な、自己愛のことだと思う。
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悶絶
サタケさんの愛の定義が違うと思います、愛ってそもそもその他に振り撒くものではないのと自己犠牲=愛 無償で与えるものだと思います そこには完全に平等という言葉は存在しないと思います。 愛と平等は同時には存在できません。 差別もそうだが差別っていうのは悪い言葉に聞こえるが、これは刃物であり使う人によっては綺麗に捌くし下手な人間が使えば怪我させると言ったものだと思います。 自己中心的な愛と言っておりますが、愛自体は見返りを求める事を前提としてないので自分中心で行うと言うのは無理があるかと思います。 与えるものですので自分の為と言うのは愛では無いと思います。
おやすみちゅう
やっぱりな、俺めちゃくちゃ平等主義者だからな そら恋人も友達もいなくても仕方ないよな なー
パブロフはユニコーン
平等主義自体が平等になりえないからね
ザクザクさん
これ文章の順序が逆になってたらちゃんとした論理にはなってると思う (関係ないところで人間の本能的な愛情に関係する差別主義に陥る傾向があるオキシトシンという物質もあるらしい) 平等も差別も相反しながら人間の生存戦略に組み込まれている謎…みたいなことを言いたかったのかな!