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薄毛侍
今日はその中の一つの話をしたいと思います。多分今まで一番長くなると思います。
90代後半になるおばあちゃんとその娘さんが団地で二人で暮していた。
そのおばあちゃんはHさんという。
Hさんは娘さんと二人で札幌市内で長年飲み屋さんを営んでいたが、二人が高齢になったためと経営的な問題で数年前にお店を畳んでいた。
生き甲斐だったお店を閉めるのは断腸の思いだったと思う。
俺は前任者の退職に伴い引き継いだ。
資料を読んでから初回訪問をしたが、母娘というより姉妹のようだな、というのが第一印象だった。
Hさんは高齢ということもありあまり話さなかったが、娘さんは流石接客していただけあって話が上手く楽しかったし、Hさんもニコニコと穏やかな笑顔をしていた。
毎月の訪問時、生活状況を確認していたが特に問題もなく3人で楽しくお話することが殆どだった。
数ヶ月後娘さんから
「主治医の先生から母が喉頭癌だと告げられた。次回受診時に今後の治療方針について話があると言われた…」
といつもの明るさと違い、不安いっぱいの声で電話が来た。
受診日を確認してスケジュール調整をしてから同席してもいいか折返しをすると
「高齢者二人でどうしていいか分からなかった。何を言われるか分からないから助かる。お願いしたい」
と言われた。
すぐに自宅訪問して二人の希望を聞いた。
「手術はしたくないし入院もしたくない、二人で寄り添って生きてきた。最期までこの家で二人で過ごしたい。」
と言われた。
「わがままだろうか…」
とも言ってので
「わがままを言うのは利用者さんの権利です。俺はHさんのケアマネなんですから遠慮なくわがまま言ってくださいよ。できるだけご希望に添えるようにします。」
と伝えたら、その日初めて笑顔を見せてくれた。
主治医は大きな総合病院の若い医師だった。
説明を受けた後に
「切除も選択肢ですね」
と言われて一瞬怒りに近い感情が湧いてきたが、ぐっと堪えて
「90過ぎての外科手術はリスクもありますし、カニューレが必要になりますよね?食事も摂れなくなるし入院が必要になります。お二人共それは望んでいません。自宅療養をご希望しているので、受けてくれる訪問診療を探してみようと思っておりますので、お手紙だけお願いできますか?」
続く
コメント
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晴乃mini

お菓子
( * ◜ω◝ * )おれのおはようとおやすみのきもち しっててほしいから
( * ◜ω◝ * )
( * ◜ω◝ * )こんにちは は たいみんぐ かな!

にゃち

まっく
そうでもしないと注目してもらえないレスラーの自覚があるからだとしても・・・
もう飽きた!飽きられるよ?
一回ボコボコにやれたら?
そろそろ試合内容で話題にならないと弱いってレッテルから逃げられない。
ま、弱いのは事実

🪘まつ
上限なしの時点でさすがにこの週末だけで在庫枯れるとかないと思いたい(一時的に補充追いつかないはあったとしても)

もも%☆
診察終わったおじいちゃんに「今日は抜歯したのでお風呂だめですよー」って衛生士さんが言った。
おじ「大丈夫。もうお風呂済ませてきたよ」
歯「すばらしいです!」
おじ「お夕飯も済ませてきたし晩酌のお酒ものんできたよ」
歯「え·····お酒·····?」
笑った

あつと/
つまり展示は行けません…
マジで土曜のLIVE当たってなかったら虚しい2日間過ごすとこやった…
ほんとに土曜のLIVE救いすぎる
とりあえず昼間はBragMenの無料体験入り浸ったろうかな…()
誰か一緒に筋トレしようよ
もうプロテイン粉持っていくしかないこれ

ぼぶ🐤

金ちゃ
未来が煽りじゃなくて本当に1ラウンドからバチバチ行くつもりならわかんないけど

ヘテロ
ある時、店長らしき年配の女性店員に「どこから来てるんですか?」と聞かれ「隣町からです」と答えたところ「そんなところから!」と何故か驚かれ、自分が何かおかしなことをしている様な気持ちになり、それからその店へは行かなくなった。
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薄毛侍 投稿者
続き⑥ だから家を出て車の中で泣いた。 泣いたのは事実だけど、次の訪問があったから少しだけですよ。 この話はもう十年以上前の話になるが、二人の笑顔と寄り添って生きてきた姿を昨日のことのように思い出す。 長文失礼致しました。
薄毛侍 投稿者
続き① と伝えると 「そうでしたか。わかりました。それもいいですね」 と言った。 言いたいことは山程あったが、大人なので飲み込んだ。 すぐに受け入れてくれる訪問診療先を探した。終末期介護は時間との戦いでもある。 市内でも有名な終末期を専門にしている医師と訪問看護、ソーシャルワーカーを抱えているチームがあったので相談したらちょうど枠が空いて受入れ可能だと言われた。 すぐに新しいケアプランを作りカンファレンスを開いた。 そこの医師は前任の医師からの資料に目を通したあとに、 「同じ医師として手術を提案したことが情けないし腹が立つ」 と言っているのが聞こえて安心したことを覚えている。
薄毛侍 投稿者
続き④ 終末期なので短い期間になる可能性を伝えた上で本来は休みの土曜日に納品してくれる業者も見つけた。 5日後訪問看護から 「薄毛さんが手配してくれたベットの上でHさんが息を引き取りました」 と電話があった。 訪問看護の所長さんの声も震えていた。 終末期専門なのだから俺より遥かに多くの人を看取ってきている人なのに、素晴らしい人だと思った。このチームと仕事が出来たことを誇りに思った。 落ち着いた頃にHさんの家に行った。 娘さんはそこまで落ち込んでいなかったのが救いだった。 夜中に息を引き取ったが、前の日まで娘さんの作った手料理を新しくレンタルしたベットの上で美味しそうに食べていたそうだ。
薄毛侍 投稿者
続き② プランには 「二人で寄り添って生きてきた。最期まで自宅で今まで通り二人で過ごしたい。」 「大好きな娘の手料理をこれからも食べたい。」 など二人の言葉と希望を出来るだ入れた。 医師や看護師さんが 「こんなに想いの詰まってるプランはなかなか見ない。いいケアマネさんですね。」 と二人に言ってくれたのが嬉しかった。 そのチームは終末期専門のテームだけあって動きも提案も素晴らしく、プロ中のプロの仕事だった。 日々変わりがあればすぐに報告をくれたので、俺も何かあればすぐにプラン変更をした。先生が 「こんなに薬はいらん!」 とすぐに薬の量を変更した、食欲が戻ってきて前よりご飯の量が増えた。
薄毛侍 投稿者
続き③ 訪問看護は週5回も入れてくれた。 俺も月一回だった訪問から近くを通った時など顔を出すようにした。 「こんなに来たら迷惑ですよね」 って言ったら二人共笑ってくれた。 「あれ?否定してくれないんですか?」 と言ったら更に笑ってくれた。 終末期の介護をしている悲壮な雰囲気は殆どなかった。 それでも病状は進行していく。 立ち上がりが辛くなってきてベット上での生活が長くなってきたので、ベットのレンタルを訪問看護から金曜の午前中に提案された。 その時にもう長くないであろうことも伝えられた。 軽度者だったのでその日の午後には役所に申請をして事情を話し、その場で許可を貰った。