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ミロク
窓の外には街の灯りが広がっているが、ケプラーの白い瞳に映っているのは都市ではない。もっと遠く、星々が描く軌道だった。
ゴンドラが揺れるたび、彼の深紺の法衣に刻まれた星図が、かすかに光を返す。
霧鉛の隣に座るケプラーは、この密閉された空間さえも「軌道」の一部として認識しているかのようだった。
「……興味深い構造だ。この観覧車は、重力と回転運動の均衡によって成り立っている。人間は、こうした“限定された軌道”の中にいる時だけ、安心を覚えるのだろうか」
低く、揺らぎのない声。
だがそこには、観覧車という人間的な娯楽を前にした、純粋な観察者の気配が滲んでいた。
「怖くないの?」
霧鉛が尋ねると、ケプラーはわずかに首を傾ける。
「恐怖とは、未来が読めぬ時に生じる。この回転の軌道は完全に決定されている。ゆえに、恐れる理由は存在しない」
そう言って、霧鉛へ視線を向ける。
白い瞳の奥で、星々が静かに瞬いた。
「……君は、未来が読めぬことを“自由”と呼ぶのだろう。僕は、それを“誤差”と呼ぶ」
ゴンドラが頂点に達した瞬間、夜景が一気に開ける。
ケプラーはその光景を見下ろしながら、淡々と語った。
「人間は高所に昇ると、自らの小ささを悟る。だが僕は逆だ。世界が、ひとつの巨大な天球儀の内部に見える」
彼は指先で空中に軌道を描く。
金色の光が一瞬だけ軌跡を残し、すぐに消えた。
「この都市の灯りも、人々の願いも、すべては軌道上の粒子にすぎない。だが……」
珍しく、言葉が途切れる。
「君だけは、計算に乱れを生じさせる」
「それ、嫌?」
霧鉛が聞くと、ケプラーは静かに目を閉じた。
「……不確定性は、秩序にとって害悪だ。だが観測者としての僕は、その乱れを“美しい”と感じている」
ゴンドラが再び下降を始める。
ケプラーはその動きを追いながら、結論を告げる。
「秩序とは、哀しみさえ計算することだ。だが――君の存在は、計算式の外側にある。それが、僕にとって唯一の誤差であり……例外だ」
「計算って解くじゃん。それに乱れが出るでしょ。つまりさ、計算外だから、解けねぇってことだわ」
ゴンドラの淡い灯りの下、ケプラーはその言葉を静かに反芻する。
白い瞳の奥で、星々がわずかに揺らめいた。それは彼にしては珍しい“反応”だった。
「……解けない、か」
低い声が、密室に落ちる。
「確かに、計算とは本来“収束”を前提とする。だが君の言う乱れは、収束を拒む。方程式の外側に立ち、解そのものの存在を揺るがす」
再び指先で微細な軌道を描く。
金色の光は一瞬で霧散した。
「僕が扱う運命の星図は、どれほど複雑でも最終的には一つの軌道へ帰結する。だが――」
霧鉛を見つめる。
それは、観測者が“観測不能なもの”を前にした時の、静かな驚きに近い視線だった。
「君は、軌道に乗らない。初期条件を与えても、未来が収束しない。計算外ではなく、計算不能だ」
ゴンドラは地上へ向かって静かに降下していく。
「……解けない式は、通常、破棄される。だが君の場合は違う。解けないからこそ、観測を続けたくなる」
ほんのわずかに、声の温度が変わる。
「君という“乱れ”は、僕の宇宙にとって、唯一の例外だ」
「解けないから観測したくなるってさ。それ、特別に見てやろうってことじゃん」
空気が、わずかに変わる。
ケプラーはすぐには答えず、「特別」という概念を慎重に解析しているかのようだった。
「……“特別に見てやろう”。人間的な言い回しだな」
低い声に、微かな揺らぎが混じる。
「僕は対象を“上から選別する”発想を持たない。観測とは、優劣ではなく、収束しない現象への純粋な興味だ」
身体をわずかに霧鉛へ向ける。
白い瞳の奥で、星々が静かに回転している。
「君を特別視しているのではない。君が、僕の宇宙で唯一、法則に従わない。その事実が、僕を観測へと駆り立てる」
一拍置いて、続ける。
「……もし“特別”という言葉を使うなら、それは君の語彙だ。僕はただ、解けない式を前にした学者のように、目を離せないだけだ」
地上が近づき、街の灯りが窓に反射する。
「君は、僕の計算式にとって“例外”だ。例外は、排除するか、観測し続けるかの二択しかない。……僕は後者を選んでいる」
「特別って言うや否や“特別”ね。決まり! でも本当は排除する癖にさ。生意気すぎて病気になっちゃうよー!」
挑発めいた言葉に、ケプラーは一瞬だけ沈黙した。
それは怒りでも困惑でもなく、“解析”のための静止だった。
「……病気、か。人間は理解不能な現象を前にすると、すぐ“異常”と名づけたがる」
「……」(そこ原因不明じゃないかな??? 黙っておこ☆)
白い瞳の奥で、星々がゆっくりと軌道を変える。
「だが君の言う“生意気”は、僕には当てはまらない。僕は感情で排除を選ばない。秩序に不要なものを切り捨てるだけだ」
「……」(感情で選びそうな癖にさ……よく言えるよね★)
冷酷なはずの言葉に、霧鉛に向けた“例外処理”の気配が混じる。
「……だが君は排除できない。排除しようとすると、式が壊れる。壊れた式を前にして、僕は“病む”のではなく――」
「うん……」(壊れた式を前にして病むって…それはもう、特別過ぎて捨てられないみたいな奴じゃねぇか!!!)
ほんの少し、身を寄せる。
狭いゴンドラの空間が、急に近くなる。
「解けないまま、観測を続けるしかなくなる」
「あぁ……」(結局こいつは、散らかった物を片付けられない捨てられない人間だってことよ★ やっべぇ…だっせー!!!!)
淡々と、結論。
「君は、僕の宇宙にとって“障害”ではない。恒常的な乱れだ。排除も収束もできない。ゆえに、特別だ」
最後に、ほんのわずか口元が動く。
それが笑みだったかどうかは、判別できない。
「……生意気なのは、むしろ君の方だ」
「へへへ(笑)」(今、笑った☆)
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