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K
僕が僕らしくある為に
好きなものは好き❤️と
言える気持ち抱き締めてたい
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うさち🔖

🧸⚡️
復縁なし派だけど...ね。

ふぬ
#ひとりごとのようなもの


さかな
みどり
自分は小さいミスをやらかしたり、他人に迷惑をかけたら失敗と反省、今後の改善点をノートに書いて時々見返したりするんだけど
ミスがやたらと多い人ってなんでなに考えてんだろ!?ミスしたら謝ればいいって思ってんのか!?内省が足りないんだよ内省がァ!!
って思ってたんだけど、わたしは自己内省が行き過ぎた結果、メンタルがボロボロになってメンクリ通いをしている女なので、どちらが良いとも言いきれないよね.........という結論に至りました

はっしー

ねこちゃん
やっぱり性格が合わなかったみたいです

じゃんく
回答数 3>>
''押し付けるもの''とする傾向が強いように感じます
これは日本語の構造的問題だと思うんです。
これはこうだ、と断定する能力や現象に意味を持たせる能力が高いがゆえに起こる問題だと考えています。
だから、
・私はこうしていた
・相手はこうしていた
・しかしこれはこんな環境でやっていたことだった
・この環境をつくったのは○○だ
・しかしこの環境が必要になったのは○○にある
これらの情報を同時に保持するということが言語の特性上難しく
「つまり、誰が悪いの?」
という問いを生んでしまっているように感じます。
しかし、私としては責任というのは「直接的、間接的に触れたもの全てに発生するもの」だと考えています。
そして一番大きな責任、問題を抱えているのは、
問題を、間接的につくっているものを間接的につくっているものをさらに間接的につくっているものにあるかもしれません。
だからこそ
責任が誰にあるかを決めることよりも先に
どんな原因によって起きていることなのかを考えることが問題の根本的解決に繋がるのだと思います。
誰が責任かを第一優先で決めることは本質から目を背けて、簡単な結論に逃げているだけのように感じます。
つまり、問題の表面的解決、いわゆる「やってる感」しか生んでいないと思うんです。
これが私の責任に対する考え方です。
まあ、そう考えることが日本で需要があるかどうかは別としますが…🙄
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