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徐
わたしの「好き」、わたしの「愛」、わたしの「嗔り」、わたしの「嫉妬」──それでいて彼女たち二人こそ、わたしは菩薩のように見なすべきなのだ。累世の因縁と今生の諸縁がめぐり合い、やがて結果となったのだ。
彼女たちとわたしとのすべては、経典を聞き法話を聴くことで得る一時の歓喜ではなく、わたしが「わが執」を悟るための助けとなったのだ。経典を聞き法話を聴くこと自体も、因であり縁である。
今日、あらゆる奇説怪論の手段で得た、現実離れした情報もまた、すべてわが執なのだ。わたしが「貪る」こと、そして「あの人はこうあるべきだ」と思うことも、同じくわが執なのだ。
彼女たち二人は、わたしが最も貪ることに背を向けてくれた。そしてわたしは丸九年の時をかけて、はじめて「わたし」と「わが執」の区別を悟ることができた。九年の時を費やしてひとつの知恵を得た──これこそ、喜ぶべきことなのだ。
このことを思うと、わたしは彼女たちがもたらしてくれた苦しみを、仏法を伝授してくれた師のように随喜讃嘆する。苦悩を菩提とし、彼女たち二人こそ、まさにわたしの師なのだ。
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これまでは読む本に合わせて体調を変化させてきたけれど、これからは体調に合わせて読む本を切り替えていく事にしよう。
カメレオンシンドロームって歌があるらしい。
これは読書におけるカメレオンシンドロームか。

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