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なみ
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さ丸
それは愛そのものじゃなくて、
不安が一時的に鎮まる感覚であることが多い
人は、
・見捨てられる不安
・価値がないのではという恐れ
を抱えているとき、
「縛られる=必要とされている」
と誤認しやすい
束縛が与えるのは「安心」ではなく「麻酔」
束縛されている間は
選ばれている感じがする
優先されている気がする
でもそれは
相手の自由が減っていることを材料にした安心
だから本質的には、愛されているのではなく
「離れられていない」だけ
愛は、縛らなくても続くもの
本当に愛があるときは、
・行動を制限しなくても
・確認しなくても
・監視しなくても
相手は戻ってくる
つまり
自由があっても壊れない関係
束縛が必要になるのは、
信頼が足りないからじゃなくて、
自分の中の不安を処理できていないとき
だからこの感覚が生まれる
「束縛されると愛を感じる」という感覚は、
愛そのものではなく
愛の代用品に安心している状態
それに気づける人は、
もう一段深いところに行ける
まとめると
束縛は愛の証明ではなく
不安の応急処置
愛は縛らなくても
ちゃんとそこに在る

ぽん
ささめ

ww

┣゙∧゙

わにゃ
回答数 141>>
僕だけの世界ならば そう
誰かを恨むことなんて
知らないで済んだのに どうしても
どうしても
あなたの事が許せない

るあ
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