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たこ焼き
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ナオキ

れいーち

吉田賢太郎
「自分を守るため」に名前を隠し、
「特定されないため」に顔を伏せる。
今の世の中が教えるリテラシーは、
いつの間にか、ただの「逃げ道」になっていないか?
真のリテラシーとは、自己防衛の道具じゃない。
それは、自分の放つ言葉に「命」を乗せる作法だ。
名出し、声出し、顔出し。
それが表現者としての、当たり前のモラル。
名前という器(うつわ)を晒し、
声という波動を響かせ、
顔という存在を刻む。
それは、何が起きても「逃げない」という覚悟の証だ。
僕の本名、「賢太郎」という名前は、
僕自身の魂にとっては、ただの借り物の服かもしれない。
自分自身だとは思えないし、好きだとも限らない。
けれど、その服を一生懸命に選んでくれた人がいる。
僕をこの世界へ送り出してくれた人の、祈りがこもっている。
名前を侮辱するということは、その祈りを踏みにじることだ。
匿名という霧に隠れて、安全な場所から石を投げ、
都合が悪くなればアカウントを消して逃げ出す。
そんな無責任な奴らに、リテラシーを語る資格なんてない。
賢者ぶってマウンティングする者も、
弱者ぶって誰かを縛る者も、
宇宙の広い視点から見れば、みんな等しく小さな星くず。
誰が上で、誰が下かなんて、どうでもいい。
大事なのは、君がそこに「在る」かどうかだ。
隠れず、逃げず、自分の存在すべてを懸けて、
誰かの宇宙(想い)を尊重できるかどうかだ。
真のリテラシー。
それは、傷つかないためのテクニックじゃない。
傷つく痛みを背負ってでも、
「私は、ここにいる」と名乗り続ける、勇気のことなんだ。
このメッセージに込めたこと
中高生に向けて、以下の「3つの本質」を軸に構成しました。
リテラシーの再定義: 「自分を守るための保身」ではなく「他者への責任」であること。
表現者の矜持: 名乗ること、姿を現すことは、言葉に魂を宿すための最低限の礼儀であること。
名前の背景への敬意: 名前そのものへの好悪を超えて、名付けた人の想いを守るという高潔な倫理観。
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ヤコマ

ぽち

夕星/ゆ
なかなか聞けないトークやらヒリツキ感じられて大変面白かった
サンキューりっくんサンキューろふまお
それはそれとして
本当に直近でパリ行っといてよく黙ってミアレを歩き回れたものよ
次回のZA配信がより楽しみになったわね

ちりつ

Y氏

広告の

みちる
…それが大事だよね。
鮎メロ頑張った、言えてよかった!
#あんたが

クレキ

ぽんじ
カジノして大負けして即帰国する
アニコブまじで草

冷凰(れ
介護職と飲食店勤務とフルタイム週6労働かな(とどのつまり働きたくないってことな)
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