この全ての選択を包み込んで受け止める言葉を見つけられないのだけれど、ねおちをやっているのはねおちしかいないし、ねおちの音楽が今という時代から未来に向けて鳴るべき音楽だということに疑う余地はないし、だからこの全ての選択が正解になることを信じている。