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誤条悟

誤条悟

アンダーグラウンドアンダーピープル
ラストミッションラストマーダー
第1話

Underground Underpeople
Episode"Last Mission Last Murder"
Awaken Edishon

第一話 深夜の外出者

 一緒に暮らすようになって、三ヶ月が経った。

 下野昂。三十六歳。元サラリーマン、現ニート。生活保護受給者。自称作家志望。

 最初に紹介されたときは、正直言って「うわ、終わってる」と思った。だって、部屋は薄暗くて、カーテンは閉めっぱなし。冷蔵庫には水と安い缶チューハイしか入ってなくて、ベッドの上には読みかけの文庫本と、ぐしゃぐしゃになった原稿用紙が散らばっていた。

 でも、クズ原が「お前に任せる」と言ったから、私はその言葉に従った。

 あの男の言葉には、妙な説得力がある。信用してるわけじゃないけど、逆らう気にもなれない。そういう種類の人間だ。

 家政婦として派遣された私は、掃除、洗濯、食事の用意をこなしながら、下野の生活を見守るようになった。

 彼は基本的に無口で、干渉してこない。私が何をしていても、何を着ていても、何を話しても、ほとんど反応しない。たまに、文学や漫画の話になると急に饒舌になるけど、それ以外は、まるで空気みたいな存在だった。

 それが、逆に居心地がよかった。

 家出してから、いろんな大人に絡まれてきた。説教してくる人、スカウトしてくる人、利用しようとする人。そういうのに比べたら、下野はずっとマシだった。

 でも、最近――気になることがある。

 彼が、夜中に出かけるのだ。

 最初は、トイレかと思った。次はコンビニかと。でも、違う。

 深夜二時とか三時とか、普通の人間が寝ている時間に、彼はふらりと家を出て、数時間後に戻ってくる。

 そして、帰ってきたあとは、なぜか原稿用紙に向かって、朝まで一心不乱にペンを走らせている。

 ……いや、パソコンじゃなくて、原稿用紙ってとこがまた、なんか古臭いんだけど。

 で、私が起きる頃には、彼は布団に潜り込み、いつものように「ふう、今日も何もしてないなあ」なんて呟いて、だらけた顔をしているのだ。

 なにそれ。絶対、なんかやってるでしょ。

 まさか、殺し屋? シティハンター的な? いやいや、あの下野が? でも、あのクズ原の知り合いだし、ありえなくもない……?

 そんな妄想が膨らんで、私はついに決意した。

 ――尾行してやる。

 その夜、私は寝たふりをして、下野が玄関を開ける音を待った。

 カチャリ、と鍵が回る音。静かに閉まるドア。

 私はすぐに起き上がり、スニーカーを履いて、そっと後を追った。

     *

 夜の街は、昼間とはまるで違う顔をしていた。

 街灯の下に浮かび上がるアスファルトは、どこか冷たくて、湿っていて、まるで死体の肌みたいだった。人通りはほとんどなく、遠くで酔っ払いの笑い声が聞こえるだけ。

 下野は、思ったよりも足が速かった。

 猫背でトボトボ歩くくせに、信号のタイミングとか、裏道の抜け方とか、やたらと慣れている。私は何度も見失いそうになりながら、どうにか距離を保ってついていった。

 途中、彼が立ち止まって自販機で缶コーヒーを買うのを見て、私は思わず息を止めた。

 その仕草が、妙に様になっていた。

 缶を開けて、ひと口飲んで、空を見上げる。

 その横顔が、なんだか、少しだけ――父さんに似ていた。

 いや、違う。父さんはもっとしっかりしてた。もっと、強かった。……はずだ。

 今はいない人間の記憶なんて、曖昧なものだけど。

 そして、彼は再び歩き出した。

 私は、静かに後を追った。

     *

 オンボロアパートの二階。錆びた鉄骨階段を軋ませながら、私はそっと近づいた。

 ドアは半分開いていて、隙間から薄暗い室内が見える。壁紙は黄ばみ、天井には染みが広がっていた。古びた蛍光灯が、かすかにチカチカと瞬いている。

 その部屋の奥――ベッドに横たわる老女と、その傍らに座る下野の姿があった。

 私は、階段の影に身を潜めながら、耳を澄ませた。

「あと、三時間くらいで眠くなってくるだろう。……それまで、よかったら僕に話を聞かせてほしい。社会からいらないと判断されたあんただけど、僕はあんたの話を聞きたいんだ。あんたが生きてきたことに、意味があったんだと思いたい」

 その声は、いつもの下野のものとは違っていた。

 どこか、祈るような響きがあった。

 私は、息を呑んだ。

 ――なにそれ。どういうこと?

 そのときだった。

「ヒナタ! いるんだろ? 入ってこいよ!」

 ――バレてた。

     *

 部屋に入ると、下野は苦笑いを浮かべていた。

「尾行のセンスは悪くないけど、足音がちょっとね。まあ、いいや。ちょうど説明しようと思ってたところだ」

「……なにこれ。殺し屋? 国家の陰謀? 姥捨山?」

「お、いい線いってる。楢山節考、知ってるんだ。さすが文学少女」

「うるさい」

 私は、老女の顔を見た。

 痩せ細った体。深く刻まれた皺。だが、その目鼻立ちは、どこか整っていて――

 若い頃は、きっと美人だったんだろうな。

 そう思った瞬間、下野が静かに語り始めた。

「これは、国家直属の“終活制度”だよ。生きていても価値がないと判断された人間を、静かに、穏やかに、終わらせる。もちろん、本人や代理人の同意は取ってある。表向きには孤独死とか、病死とか、そういうことになってる」

「……そんなの、ありえない」

「でも、現にこうして、僕はここにいる。そして、君も見てしまった」

 私は、言葉を失った。

 下野は、老女の方を見やりながら、続けた。

「このおばあちゃん、昔は“妖婦”とか“大悪女”とか呼ばれてた人でね。殺人罪で服役してた。男性のアレを切り落として殺した上に、目撃者も殺した」

「ええっ!」

「これだけで、マイナス二万ポイント以上。制度上の対象者だ」

 私は、老女を見つめた。

 その顔は、まるで眠っているように穏やかだった。

 でも、彼女はゆっくりと目を開け、語り始めた。

「……あたしね、あの人が“女になりたい”って言ったから、切ってあげたのよ。でも、血が止まらなくて、あたしも混乱して、叫ぶ彼を黙らせようと花瓶で殴っちゃって……」

 その語りは、どこか現実感がなく、ふわふわとしていた。

 でも、確かにそこには、彼女なりの“理由”があった。

 そして、彼女は昔の写真を見せてくれた。

 そこには、妖艶な美女が写っていた。

 唖然とするほどの美しさ。目鼻立ちは整い、肌は白く、髪は艶やかで――

 老婆となった今も、その面影は残っていた。

「……あんたみたいな色男が話を聞いてくれるんなら、あたし、もう少し生きてもよかったかもしれないわ」

 そう言って、彼女は目を閉じた。

 しばらくして、呼吸が止まった。

     *

「この御婦人は、末期がんだった。どのみち、長くはなかったんだ」

 下野は、静かに言った。

「ヒナタ、あまり深く考えないほうがいい」

「……でも、あんなに綺麗な人だったのに、どうして……」

「その美貌のせいで、幼い頃から性加害に遭ってたらしい。精神に変調をきたして、虚言癖もあった。閉鎖病棟に入ったこともある。さっきの話も、どこまで本当かはわからない。殺人の件も、今の法体制なら、どうなってたか……」

 私は、黙って老女の顔を見つめた。

 その顔は、まるで眠っているように穏やかだった。

 ――意味なんて、あるのかな。

 でも、下野は言った。

「僕は、意味を与えたいんだ。どんな人間にも、生きてきた意味があったって、そう思いたい」

 その言葉が、胸に刺さった。

 私は、何も言えなかった。

 ただ、静かに、老女の眠る部屋を後にした。



 ――そして、私はこの日から、下野の“終活”に同行することになる。



(第1話 了)
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