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すずめ

すずめ

私は弱い。
そう自覚してる。
強いと錯覚することはできた。それでもそれは錯覚で、私はすぐに自分の不足に目を向けてきた。

足らない、まだ及ばない、強くなりたい。
そう願ってきた。

自分は劣っている、満足できない、何が足りない、何が必要。
そう自分にない物を求めて、自分にない物を物人が羨ましかった。
そして自分が大嫌いで、存在ごと消えたいと願っていた。20代までは。

30代、守るべき物ができた。私は強くある事を求められた。期待しては絶望する事を教えられた。
40代、今は期待を持つ事を再度始めた。外ではなくて自分自身に。

いじめられていた。人とは違う。それが私のアイデンティティになっていた。
異質だ、気持ち悪い、何考えてるかわからない。
目につく鼻につく。そう言われ続けて少女時代を過ごした。
誰かに理解してもらえるなんて鼻から期待してないと思っていたけれど、ひどく誰かを求めている魔物だった。
それをことごとく壊してくれたのは元夫と私の子供だった。

私は人が羨ましくて、人と比べる事、選ばれるという優越感に執着しているのだと気づかせてくれ、今の私に導いてくれた人がいた。
その背中を追っているうちに、人と比べる事の愚かしさ、自分の心の醜さ、自分が正しくあろうとするずる賢さを知った。

今はその背中も見えない、導く腕も手もここにない。

それでも自分で見つけた夢を追っている。
全てを手放して楽になりたい、そう思って夢を抱いた。
そのうちそれも私の欲だと気づき、今は願いを持って歩いている。
人と比べても、心の安寧は無い。
心は常に波打つもの、水のように常に一定ではない。
人もまたそうなのだから、一生人に流されていては自分の心の安寧は訪れない。
何に揺らされても、吹かれても、波が立とうとも、私に戻ることをやめなければ、自然と穏やかな自分になっていく、穏やかさを保つことができる。

その時を待っている。
そして、その時には私を導いてくれた人へ、謝罪と改めての感謝と、変化した愛を伝えに行こうと思う。


先日、瀬戸内寂聴さんのドキュメンタリーを見ていて、その言葉一つ一つ、葛藤や戸惑いの言葉に深く共鳴して涙が出た。
私の半生を、母は恐れ多くも瀬戸内寂聴さんに重ねている。
出家をしたいと思ったのは自らの意思だけれど、その意思を聞いた後、母は瀬戸内寂聴さんの話をよく知りなさいと教えてくれた。

全く同じ気持ちではないかもしれないけれど、概ね同じ意思を持っていらっしゃった。
私は、恥じることなく、いつまでも恋をしていたい。
花を愛する人になろうと誓った。もう姿もないあの人に。

ひどく悲観して見えるでしょう?
残念。
私の目には一点の曇りもない。

私の空は、もう曇り続ける事も、夜に飲まれる事も、流されて濁流に飲まれる事も、溺れる事もない。
気持ちは晴れのまま。

明日は初めて修行らしい事をしてこようと思う。
すごく楽しみ。
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