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ぼー

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"ポリヴェーガル理論"〜安心が大事〜

衣食足りて礼節を知る。
まず人が安心できるのは、食べることや住むことといった基盤が整ったときですよね。

けれども、現代人の多くの悩みはそこにはありません。

むしろ「比べること」にあると僕は思います。
情報を通じて一部の人の贅沢な暮らしを知り、自分と比べて落ち込んでしまう。

これこそが現代の病理ではないでしょうか。

さて、今日は「安心・安全」について。
それを幼少期のことから話してみましょう。

長く続く否定的な養育は、一度のトラウマよりも強く人に影響を残すそうです。

恐怖が心身の限界を超えると、哺乳類は「戦う」「逃げる」、それもできなければ「硬直する」という生存の戦略をとります。

この仕組みから分かるのは、
動けない、あるいは動きが硬い人は、人並みの人生を送るだけでも困難を抱えるということです。

そうなると、リラックスして人とつながれないのは、本能的に当然のことであり、
それは、気合いだけで変えられるものではないんですね。

自律神経は興奮と鎮静を司っていますが、動けなさや硬さにはそのような深い本能的な働きが関わっているからです。

ただし、この「動けない」という作用を起こしてしまう自律神経も、
安心を得ると「遊びだす」方向にも働きます。

実は、鞭打って努力するよりも、遊ぶことの方がより吸収され、大きな学びや成長につながるのではないでしょうか。

動物の子どもが、遊びを通して生きる術を学ぶように。

ここで僕に思い出されるのが、お経の中にある「仏や菩薩が遊ぶ」という表現です。

遊ぶとは、単なる気晴らしではなく、安心の中で自由に振る舞い、存在が本来の力をのびのびと表すことです。

子どもが夢中で遊びながら成長するように、仏や菩薩の「遊び」は、衆生を救うはたらきそのものが自然にあふれ出ている姿を表しています。

つまり「遊ぶ」という表現には、深い象徴があります。

安心を得て心身の硬直がほどけたとき、人は自由に関わり、学び、成長できる。

その自然な動きが「遊び」であり、仏や菩薩の遊戯は、慈悲や智慧のはたらきが、自由な遊びのように現れている姿なんです。

言い換えれば、慈悲は「ともに遊ぶこと」、
智慧は「遊びそのものが道であると知ること」と言えるかもしれません。

だから、現代の私たちにとっても、安心を土台に遊ぶことは、治癒と成長の道になる。

僕はそう、本気で思っています。

日本人よ、
我慢は美徳というけれど、
自分を押し殺すほどのは我慢を超えてるよ。
もっと心地良い方へ行こう!?

そして、安心を得て、
互いに安心を作り合い、
本来の力をのびのびと出そう!
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コメント

ポチョムキン

ポチョムキン

1 GRAVITY

おっしゃる通りだと思いました[ほっとする] 他者と比べるから「承認欲求」が生まれ、他者にまけないようにと服やお金への「物欲」がうまれてしまう[目が回る] 他者より優位に立てたとしても、そこから「慢心」がうまれ、この地位から落ちたくないという「執着」がうまれる[疑っている] 過去の自分と比較し成長を実感して、周りの小さな幸せに感謝して「少欲知足」を知る🙏 ためになる教えをありがとうございます🙏✨

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ぼー
ぼー
コメントありがとうございます。書いてくださって、より分かりやすくなりました[照れる][おねがい]
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ぱぐり

ぱぐり

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ありがとうございます[照れる]

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ぼー
ぼー
ありがとう[照れる][おねがい][おねがい][おねがい]
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INDRANET

INDRANET

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偉大な菩薩ともなると他者を救う為に自らの身命を犠牲にするともそれは遊戯であり楽のうちに留まっているというような話だったかと思うけど、それはその境地に到達していればこそで、我々凡夫のままではそうもいかぬ…とはいえ仏と衆生に差別は本来無しということであればそんな遊戯三昧に至りたいものだと思うわけですよ。で、実はそういう道は示されてたりするわけで、我身に実現すべく励まにゃなと…。

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ぼー
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ふふ[照れる]真面目すぎるんですよ 今からもう遊べばそこに行けると僕は言いたいのです[おねがい]
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