往々にして物事とはこちらから見えていない向こう側が必ずあって、どちらも合わせて見るべきでありそれが見えていないにも関わらず何故だが「わかった」気になってしまう。「わかる」と言う事が如何に程遠き事象でありながら「わかり合い」を求めるのだから因果なもんです。