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楓花(ふうか)

楓花(ふうか)

人は何かを批判する時、その構造を無視しがちだ

荘子という人間がとある寓話を語った。
「罔両問景」
とある影の外縁に出来る薄い影を罔両とし
それが内側の影にこう批判した。
「お前は歩いたかと思ったら止まるし
 座ったかと思ったら立ちやがる。
 全く何でそんなに自主性がねぇんだ」
濃い方の影が答えた。
「確かに私は主人の動くままに動いているかも
 しれない。しかし主人にしてみたって
 私と同じなのかもしれないのだぞ。
 私のこの動きもつまりは蛇の腹や蝶の羽の
 ようなものかもしれない。

 悪んぞ然る所以を識らん
 悪んぞ然らざる所以を識らん
 
 私達にはどうして動くのかなんて
 分かりはしないのだ」

批判、文句を言う事は誰にでも出来る。
その罔両や、子供にしたってそうだ。
「家の料理はレストランのように美味しくない
 勉強、宿題が多すぎる
 好きな事を好きなだけやらせてくれない」
親はある程度構造を知っているから
頭を抱えながらも何故そうなっているのか
子供に説明する。

だがそれで納得出来ない子供がいるように
大人になってもそのままで育ってしまった人間が
構造を無視して批判を繰り返す。
「多様性」という言葉は彼らの実際には
存在しない「主体性」の概念を固定化させ
構造を無視しても尚、批判を可能とする
「おまじない」として機能するに、時間は
さほどかからなかった。
実際の「多様性」の意味からかけ離れても
彼らは本来のその意味をも無視する。
本来の多様性とは、構造の中で異なる役割が
共存し、互いに補完し合う事をいう。
よって構造を無視する事は
その前提を無視する行為だ。

そして駄々をこね続ける親と同じように
構造を見渡せる人間ですら、彼らに頭を
悩ませる。「馬の耳に念仏」だ。

私達が本来知るべき事はさほど多くない。
人は四苦に苛まれ、そこから逃れる術はない。
どんなに構造を理解しても不可能だ。
だがそれが「営み」というものだ。
動き、動かされ、揉み、揉まれて
やがて消える。
僅かな残滓を残して、それでもそれが
また何かを動かして…

その繰り返しの中に生きている。
それだけ識っていれば良い。
それ以上求めても更なる苦しみがあるだけだ。
行き過ぎた理想はそうやって人から
余裕を吸い取っていく。

だから「防人の唄」なのだ。

防人もまた、その使命を与えられても
その構造が生み出す軋みとしての波に
抗えぬ事を識っている。
そしてそれでもその責務を静かに受け止め
続ける他ないのだ。

かつての人間は、またはまだそのかつてを
守り続ける遊牧民や伝統部族と呼ばれる人間は、
そんな中で生きている。
知恵ある者は、構造の中で役割を果たすことに
意味を見出す。
ない者は構造に苦しめられた結果、
それを否定することで自由を得ようとする。
しかしその自由は、構造の無視によって
生じる具現化しない幻想に苦しめられる。

知恵ある者が皆最低限防人であるように
私達もそうあらねばならない。
駄々をこね続ける人生、その輪廻から
解放されたくば。
GRAVITY

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