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アイン
Keep Your Hands on the Wheel
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なない

原ヶ出

taco🍌
音楽の日のダンス選抜ブチかましてください。
ブチかましすぎて、
ダンス選抜後ならテレビ壊れても良いし(!)
テレビから出てきても良いです(それはとてもよい)
私より

CSC(ささ
あれはハゲてきてるよ()

みかず

なみ
#ラヴィット

はせせ5

りょうすけ
「( )」
#大喜利

あお🫧
回答数 57>>
もちろん、人へのリスペクトも、
感謝の気持ちもある。
「とんでもないです〜」って言葉に違和感がある。
“とんでもなことしてやった”が透けてみえるから。
謙遜は、言葉で自分を小さく見せること。
謙虚は、態度で自分を過信しないこと。
でも私は、どちらも選ばなかった。
選んだのは、誠実に生きること。
謙虚さでは、飯は食えない。
歯を食いしばって、結果を出して、勝ち取る。
それは目立つし、出すぎるし、強いし、
空気を跳ね返さないといけない場合もある。
“がんばらない”が、私はできない。
そんな私に「謙虚であれ」と言うのは、
「わたし」の否定にさえ感じる。
謙虚を見つめれば見つめるほど、
辞書に載っているような「謙虚さ」と、私の生き方は遠くなる。
でも、誠実には生きてきたつもりだ。
不器用でも、曲げずに、真正面から。
私は、誰よりも慎ましく生きていると思う。
静かに、もっと骨のほうで。
私は、「開かれた人間でありたい」とも思っている。
でも、人の“答え”に安々とうなずくことはしない。
哲学書も、ハウツーも、
それが“自分で辿り着いた実感”を邪魔するなら、私は閉ざす。
自分で考えたい。
自分の頭で、心で、納得したい。
そういう「閉じ方」も、私なりの「開き方」だと思っている。
私は、謙虚じゃない。
でも、きっと誠実。
成し遂げた分だけ、生きてる実感がある。
それを恥じる理由は、どこにもない。
謙遜しない私が、目障り?
目立つ私が、気に食わない?
屈服させたい?
そこに“謙虚”はあるんかい?(笑)

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