投稿

Life robot2
飯沢耕太郎 大山顕
『写真は死んだのか? いまこそ写真の純粋な驚きを語ろう』
大山さんと飯沢さんの対談。
彼らは「写真は死んだ」と語りながらも、その奥底にある「純粋な驚き」を探そうとしている。これは、「ない」と言いながら「ある」を探す作業なんだ。
デジタル技術が普及して、写真は「記録」や「承認欲求の道具」に成り下がった。
みんなが「映える写真」を撮る。それはある意味、他者に見せるための「完璧な物語」を演じているようにも見え(自分の写真もそうであるが)、
でも、そうやって「完璧」を追い求めるほどに、どこかに不完全で、意図しないものがこぼれ落ちていく。彼らが探している「純粋な驚き」とは、まさにそのこぼれ落ちた、「どうしようもないもの」のことじゃないかな。
ユベルマンという哲学者の『イメージそれでもなお』という本が、このことを考える上で示唆を与えてくれる。
彼はホロコーストの不鮮明な写真について論じたが、あれは、完璧な記録じゃない。でも、その不完全さやブレの中に、人間の抵抗の意志が確かに宿っている。彼は、その「どうしようもない」写真に、それでもなお見るべき価値があると言った。
僕たちの日常の写真も、きっとそうなんだろうよ。SNSに載せる完璧な写真の陰で、きっと無意識に撮ってしまった、ぼやけてブレた写真があるはず。
そこには、完璧を演じようとする「私」ではない、もっと素直で、どうしようもない「私」が写り込んでいるのかもしれない。
再読後、僕は自身のスマホのカメラロールをじっくり見た。
誰にも見せない、失敗した写真を探してみる。
あなたもやってみるといい。
そこに、あなたが本当に探している「純粋な驚き」、あなたの「どうしようもなさ」が写っているかもしれませんよ。

話題の投稿をみつける

にゅ🍼

ねけ

あかい

3937mo(み
ステおじよろたのです

ゆん@
五老星えぐいなあ
来週もやばそ〜
#アニワン

謝罪ラ
マジかもしれないから困る

つぶ (

ぶたに
#MGA_CEREMONY

かる

すかり
もっとみる 
関連検索ワード

