若いミセスグリーンアップルはこんなに胸に響く歌詞を書けるのに対し、ある種の権威を極めて能動的に目指してる(ように見えて仕方ない)福山にはそれがない。やっぱりそれは悲しいかな、文学性がなさすぎるということだと思う。同郷のさだ先生との大きな違い。