長野博が仏のイメージを長らく持たれているがゆえに坂本昌行へのリスペクトと共にその昌行が心温まり守られる場所としての博があることを示すのに神の概念を持ち出すことになり聖性のインフレみたいになっているがユアマイシェルターでスッと纏める井ノ原快彦の上手さというふざけたような奥底の真実感