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ひきわり納豆

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#Billy #Honesty 美しいピアノ🎹のメロディ🎵が好きだった。意味を調べて初めて英語で歌った曲。歌詞の内容にも共感。Billy Joel のベストは何回も聴いた。
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ビリー・ジョエル

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ひきわり納豆

ひきわり納豆 投稿者

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えービックリ😱オネスティーで下校を?カッコいい。誰のセンスだったんだろう?いいですね[照れる]ウチは蛍の光だったかな?忘れた。 確かに80年代はマイケルジャクソンとマドンナとかシンディーローパーU2とかでしたね。ミュージックビデオが全盛期で80年代は洋楽がすごかった。ビリーはベストが出てから歌えるようになったかも。 いつまでも古い曲ばかりじゃダメだなと思って新しい曲をまた聴き始めてエドシーランにはまりました。やっぱりシンガーソングライターが好きかも。 ステキな思い出シェアありがとう😊ございます。

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北村タケシ(タケさん
北村タケシ(タケさん
12歳の時に、中学受験の勉強を深夜にしてたのね。ラジオから流れてきた曲に心臓が止まりそうなぐらいの衝撃を受けて、180度、振り返ってラジオをじっと見つめてしまったのを覚えてます。 この曲に出会ってからは、洋楽ばかりを聴くようになりました。中学の3年間は毎週、発表される最新のアメリカ音楽チャートを夢中になって調べてましたね。当時はインターネットなんてないから、ひたすら、ラジオで。 なので、80年代後期の音楽なら朝まで語れるぐらいの、リアルタイムの情報を持ってますよ。
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ひきわり納豆

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えーすごい[大笑い] そこまでオネスティーが絆をつないでいたなんて‼️驚きです。ビリーに教えたら感激するかも🤩

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北村タケシ(タケさん
北村タケシ(タケさん
かれがこの曲を書いた時は、若かったし、社会に対するメッセージソングだったんだと思います。 70年代はホント、そういう曲を聴衆が求めてましたからね。アメリカはベトナム戦争で経済も社会も疲弊・混乱してしまっていて音楽産業がとても苦しい状況だったんです。イーグルスとかキャロル・キングなんてまさにそのシンボルな感じですよね。それが80年代にバブったこととイギリスからポップな曲が大量に入ってきて80年代のアメリカは商業音楽が、目覚ましく発展しました。概論的に。😊
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北村タケシ(タケさん

北村タケシ(タケさん

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ボクの中学校ではインストゥルメンタルでしたが、この曲が下校放送でした。 小学6年生から洋楽を聴き始めてたんですけど、80年代半ばはビリーが大きなヒットが生み出せなくなっていて、ボクにとっては「70年代の人」って認識だったかな…でも、ボクの周りも洋楽が好きな連中が多かったから、みんな歌詞を口ずさんで、部活の後の着替え&帰宅準備をするのが習慣でした。 とてもいい思い出。 中学の仲間はホントに仲良しだから、同窓会的な集まりでカラオケに行くと、ラストはこの曲なんです。みんなで歌うの。最初は「お約束」「家に帰ろう」みたいなしシャレだったんだけど…

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北村タケシ(タケさん
北村タケシ(タケさん
年齢を重ねると共に、みんなが社会経験を経て、つらい思いをそれぞれが経験して。歌詞の意味を深く理解してできるようになっていて…いつの間にか、歌詞を噛みしめながら歌うようになってきてました。仲間の結束というか「俺たちだけでも、Honestyな関係でいような」っていう空気に変わりました。第二の校歌みたいな位置づけに変わりました。 他の仲間とカラオケに行くと、だいたいラストは「サライ」なんだけどね。😆 中学の仲間はボクにとって、とても深いところで繋がり合えているので、それを象徴するような曲です。たぶん、自分が亡くなったら葬儀で必ず流してもらうと思います。それぐらい心の中を占めてる大切な一曲です、
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