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ほこり。
いつもこうして色んな方向から自分の意見を考える。視野が広いと言えば聞こえがいいけど、私は私の軸で物事を決められないし考えられない。質問に対しては、沢山の解が浮かんでその中のどれが相手や状況に適しているか導き出すのにも時間がかかる。
何より、間違えること=恥ずかしいこと として育ってきたから、今でも人前で間違えることが死ぬほど嫌い。それが仲のいいお友達でも関係なく。これは"自分をさらけ出せる相手がいない悩み"ではなくて、根本的な私の性格のお話。
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はと

sora︎︎

たけの
いやそんな事ある?
50種類もあるのに???

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けー
いい意味で多角的に見るというよりは何かの折に言い訳をする為にどう見たら見栄え悪くないかみたいな卑屈なところから派生してる副産物的なところがある 褒められて悪い気はしないが決して褒められる事じゃないんだよなーと何とも言えない気持ちになる よくないな、素直に喜んどくべきなのかね
ニク
私もそうです。 間違えることが怖くて、他人の考えにばかり配慮して、精神的にとても疲れやすかったです。 哲学や禅宗の思想を学ぶうちに、虚無主義に近い感覚にたどり着きました。 今の私は、まるで『異邦人』の主人公のようです。 家族の葬式でも泣けなかったし、悲しいとも感じられなくて、「自分はまだ人間なんだろうか」と疑問に思うことがあります。 まあ、それにおかけで「自分らしく」生きられているような気がするけど[冷や汗]
音羽
ほこりさんへ ほこりさんは…一度自分のことについて考える時間を取るべきだと思います。ほこりさんは今、自分の考え方の原因を、「間違えたくないから(恥ずかしいから)」だと思っていますね。でも、第三者から見た自分を想像することは自分を守るために無意識に行っているのかもしれません。根本的な性格(優しさから生まれる周りへの配慮など)の可能性もありますが、変えることは出来ると思います。 それと、「間違えること=恥ずかしい」と思ってしまうのは、今までの環境や経験の影響もあるかもしれませんね。でも、間違えることは成長の証でもあります。最初から完璧な人はいないし、むしろ間違えたからこそ得られるものも多いです
蘆屋
俺もそうでしたよ。小学生の時までね。その頃は、間違えないよう必死で死ぬほど勉強してましたね。でも、気づいたんです。間違える事は、いい事なんだなって、人間間違えて育つんだなって、気づけたんです。それに、成功に辿り着くには、間違えなきゃたどり着けないよ。成功への道には、近道なんてない。 努力と犠牲が必要なんです。ほこりさんは、ほこりさんのありのままでいいと思いますよ。それに、苦しい状況もいつかは終わる。だから、全力を尽くしてそれを乗り越える。だから、自分のペースで頑張って、周囲の声に惑わされず、自分の言じる道を探して下さい。見守ってます。
ステラ
自分より可哀想な人を探しても満たされないから自己顕示欲や恨みというより自我だよなあ、という気持ちは分かります。 私も周りが不幸だったので『自分は幸福なんだ』と思いながら育ちましたから。 より楽しかったり嬉しい事を親から離れて集めると良いですよ。 誕生日にケーキ買って貰ったことがないなら自分で買うとか、同じ人に買ってあげるとか。 親の方が恥と考えられてくると幸福度が上がります。 貴方のそれは普通の羞恥心というよりは植え付けられた個人の価値観なので、自分の価値観は変えて良い訳ですから。