投稿

あり
回答数 121>>
話題の投稿をみつける

ちむ
けどデートはしたい

蛭ヶ呂

特攻薬
プリン
小麦植物油乳製品甘いものを食べない4毒抜きの昨日の報告です。今日と書いてあるのは全部昨日のことです。朝昼兼用と夕食です
写真の小魚は食べませんでした。その代わりおやつに塩煎餅とセブンのピーナッツと小魚の小パックを食べました。今日はイオン系じゃないスーパーで唯一の適合弁当です。これ以外の弁当は全部アウトです。
40度を超える猛暑の中お宮参りまでしました。
正直まだエネルギーが足りない感じです。チカラが出ません。
しかし長年苦しんでいる足腰の炎症が少しづつ取れているのはどうも確かみたいです。階段の一歩で出る痛みがゼロ、ふくらはぎの柔軟体操でも痛くないなんてこれまで一度もなかったことなんです。あとはお腹の肉がちょっとづつ減ってきています。本当にちょっとづつです。
夜に不思議に思ったこともあります。オフィスから帰宅の際、街を歩く景色から入ってくる情報量がやけに増えているのです。今まで見えてなかった看板電柱高層階の窓の形などがいちいち鮮明な映像情報として脳に飛び込んできます。これってぼーっと生きてる真反対なので、いい効果ですね♪
とにかく1週間続けました。これは続ける価値があります。まずは2周目に入りました😊
今年は表面上ナーンにも変わってないのに、精神面では人生最大超絶激変の年になっています。さあ今年後半に向けて嬉しいなあ楽しいなあ、状況はナーンにもなああああんにも変わってないのに不思議な不思議な感覚です。
#GRAVITY日記 #友達募集 #4毒抜き




ふぅ
突然に知らない保護者の方何人かに話しかけられた。
(感動しました。)
(どんな方なんだろう。お母さんは。と思っていました。)
(素晴らしいですね。)
?????
…何なのかさっぱりわからず。
帰宅して長男に確認。
何か知らない人に話しかけられたんだけど…?
『俺も。話聞いたら作文だった。お父さんの事書いたやつ。賞もらった。何人かの先生が道徳で使いたいからって許可もらいに来たからそのせいかも。』
なるほど…。
この後初めてこの作文を読んだ私。
パパ!
息子は強く育ってるよ🎵
良かったね😊
きっと得意気な顔してる(笑)
※父と献体※
平成三十一年一月三十一日、僕の父はこの世の住人ではなくなった。十三年前、医者に、難病である「原発性硬化性胆管炎(PSC)」だと診断されて以来、苦しく、辛い、 厳しい闘病生活はこの日に幕を閉じ、三十七才で天国へと旅立った。
僕の父は、十三年前医者から生きる為には肝臓移植が必要であると言われた。同時に、移植ができなかった場合の余命は長くて十年だと宣告された。結局移植をすることはできなかった。しかし父は、余命宣告から十三年の日々を過ごすことができた。
父は生きている時に、あることを強く訴えていた。それは、死体、脳死移植のドナーになることと献体だ。
自分が死んだときに、自分の様に難病で苦しんでいる人に自分の臓器を移植し、少しでも多くの人を救って欲しい、また、自分の体を提供し研修医の授業に使用したり、 自分の体を詳しく調べてPSCの研究に役立てたりしてほしいと話していた。もちろん父の意志を尊重し、父が亡くなった日に担当医にその事情を説明すると、先生は
「○○さんの様にそう言ってくれる人は本当にごく稀です。皆さん最後は傷つかずきれいな体のまま眠っていたいと思うもので、必死に病気と闘っている人が、自分の死んだ後の話をするのはとても勇気のいることですし。本当にありがとうございます。」 僕は、この言葉を聞いた時、自分の父親に大きな誇りを持てた気がした。病気のため、 働いたり、誰かの為に何かをしたりできなかった父が、天国に行った後だとしても誰かの役に立てることは僕にとってもうれしいことだった。
結果、行われたのは献体であった。遺体が献体を行う病院に運ばれた。半日が過ぎた頃に、父が自宅に帰ってきた。お腹がとても薄くなっていて、少しショックを受けた。 詳しく調べるには、時間がかかるため内臓が全て取り出されていたのだ。あんなにがっちりしていた父の姿はなくなり、父がとても小さく見えた。ただ、いつもと変わらぬ怖い顔に生まれて初めて安心感を得た。
先日、献体をした人の家族が集まる慰霊祭に行ってきた。医学部の三年生が、献体に体を提供してくれた人達のことを「先生」と呼んでいたことに驚いた。父は、医学部のみなさんから見ると、身をもって教えてくれる先生であり、医学を進歩させる上で重要なことを教えてくれる先生になるのか、と思った。同時に誇らしげにドヤ顔をしている父の顔が頭に浮かんだ。
父に会わぬようになって約半年が経つが、いまだにこの世にいないのが嘘みたいに思える。医者にもうだめかもしれないと何度言われても、父は負けずに何度も何度も、 もがきながらもはい上がってきた。自分が辛くても家族のことを大切にし、厳しくも優しい父だった。いつまで待っても帰ってこない父の写真を見ていると、なんだか胸にぼっかりと大きな穴が空いているように思える。家にいても、その辺でいびきをかいて寝てるような気がする。スマホをいじっていると、「早く勉強しろ。」と怒っているような気がする。剣道の大会で試合が終わると、「まだまだだな。」と馬鹿にしているような気がする。弟の十才の誕生日には、「おめでとう。」と微笑んでいるような気がする。父がいなくなったことへの悲しみは一生消えるものではないし、これから先も他の家庭より沢山の苦労をすると思う。今だって「なんでこんなに我慢しなきゃいけないんだ。」と思うことも沢山ある。でも僕には支えてくれる、学級や学年の仲間がいる。仲間と話している時は、辛いことも苦しいことも忘れられる。僕にとって先生や同学年の仲間は感謝してもしきれない存在だ。
色々な思いはあるけれど、僕はこの家に生まれて良かったと思っている。もちろん、 他の家に生まれていた方が、お金もあっただろうし、自由な時間だってあったと思う。 大切な家族をなくすこともなくてすんだだろう。だとしても、この家で良かった。他の人よりも、当たり前があることの幸せや大切な人を失う悲しみ、人の命の重みを知れた。そして、そのおかげで悲しみに追われる人に少しでも寄りそえる様になれたと思う。
例え生きることが辛くても、昨日死んでしまった人の分まで、今日という日があるありがたみを噛みしめて一生懸命生きる事が、僕達生きている人間の義務だと思う。 若くして天国へ行ってしまい、やりたいこともろくにできなかった父の分まで、沢山のことに挑戦し、悔いのない人生にしたい。


Ton
○ぬって…マジで○ぬから…絶対あんなとこで○にたくないから…[大泣き][大泣き][大泣き][大泣き]
今週はヤバいな…耐えれる自信がないぞー
帰っては来たものの、へたりこんで動けん
ぬるめのシャワーで身体冷やしたいのに…
ワダツミ
実は港湾関係の仕事してるので、被害は皆無ですが朝からバタバタバタバタバタ右往左往💦
日本は島国、海洋国家、地震大国。もう少し検潮ブイとかセンサーとか衛星データとか、正確でスマートな津波予測で警報を出せないものですかね?🌊
算出された最大最長最悪を想定するのも解りますが、経済損失も相当ですし、何より今日みたいな猛暑では避難した方々の熱中症の方が深刻になりそう🥵
どうか全てにおいて大きな被害が出ませんように🙏🏻✨
あ、パエリア美味しく炊けました🐙🦐🦑


特攻薬

ひろう

らぴ☀
もっとみる 
関連検索ワード
