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のしがもす

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#のしがもすのらくがき #あきーえとかあびい ←前作などはこちらのタグから※pixivはマイピク限定 

⚪︎あきーえとかあびい落書き漫画「茶会1335」パート10
【解説】
さぁ、念願です!
顕家に一緒に海老を食べたいと訴えるかあびいちゃん💕第二弾で一緒に食べたいと聞いていた面々も待望の場面…!わくわくほわぁ〜しています☺️
しかし、そうとは知らない、空気の読めない顕家ww微笑みながら、いつものように答えます。
「かあびい、余のことは気にせずいっぱい食べよ!」と。
いやぁ、この顕家の優しさ、誰も望んでません🤣

そこに、 ばん と大きな音!
一体何の音でしょう??

思わず、音にびっくりしたふたりは抱き合いますwww思わず!!です!!笑笑

この日本の貴族男性の乙女っぽさ、
何なのでしょう、結構好きです😊✨✨

⚪︎伊勢国
北畠家の本拠地。この頃の伊勢について詳しく書きたかったのですが、資料がないんですよね。建武政権下では伊勢国司は吉田定房?、守護人は結城親光だったようなのですが、延元元年/建武3年(1336年)には北畠顕信(顕家の弟)が国司、伊勢北畠家初代になります。このあたりの詳しい資料がなくて経緯がよくわかりません。ただ、親房が若い頃に陸奥出羽按察使(あぜち)を兼任していた頃があるので、建武政権下では、全く関わりがない場所の国司にしたり、下向させたりはしていないんじゃないかなと思われます。だとすれば、顕家が奥州へ下向する前までには、北畠家はすでに伊勢に目をつけていたのではないかと思うんです。1337年には後醍醐天皇が伊勢遷幸を計ったりもしていますし。というわけで、小説もどきその4にのしがもすの創作時系列をつけていますが、親房が地盤固めに奔走しています。顕家も建武政権になる前に何をしていたかさっぱりな時期があるので、実は伊勢に身を寄せたりしていたんじゃないかなと思います。伊勢は壬申の乱やら伊勢神宮やら、学問の家ならではの惹かれるものがあったのではないかと。

⭐️カービィを探せ!は、コマ含め4箇所。
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