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残念なuじゃが🥔
夏の山ごぼう も、
ポタージュ/ヴィシソワーズは、このくらい。
『ととのえ』『美しく』『シルクのように』
それも《解》としてのもの。
ワイの個人的には、
『ものがたり』がそこに在って、
『やさしい』『おいしい・頂きます』が、ほころんで来ちゃうこと。
そこがゴール。
そこを人生を使い磨く。
アクがあっても白くなる。
いびつでも、華やかに 唯一無二に、かぐわしい。
不器用に見えるものの中に、『知る』よろこびは確かに在る。
午前1時半に採れたゴボウ、すぐに湯がいて、凍らせ、加圧し、 まだまだ…、エッセイが書けるほどの情報量がひそんでいる。
カタチには努力や本質が現れる。
しかし、それならば、美しくなければ本質は無いのだ、と断ずるのは、
抜け落ちている。
算数のベン図をやり直したほうが良い。

コメント
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翔💙⛄
楽しいかも〜w
#この世界は1ダフル

なんみ
美味しい✨
今日はすでに沢山食べているので、ポッキーも食べたって言ったら、あすけんの未来さんに悲しい顔されそう。

白石八
楽しみ~w
#めちゃすぷ

ミ

紅峰竜




がうが
来月PAMが大阪に来るう

しゅし
ノヨォの意味は?
ノヨォは、主に日本の若者の間で使われるスラングで、特にカジュアルな会話やSNSで見られます。この言葉は、何かを強調したり、感情を表現するために使われることが多いです。具体的には、以下のような意味合いがあります。
強調: 何かを特に強調したいときに使われることが多いです。「ノヨォ」をつけることで、言葉に力を与えます。
親しみやすさ: カジュアルなトーンを出すために使われ、友達同士の会話でよく見られます。
感情の表現: 驚きや喜び、時には不満を表現するためにも使われることがあります。
このように、ノヨォは日常会話をより生き生きとさせるための言葉として、特に若い世代に親しまれています。

なたま

🦒𝑺

月月(と
#よこやんソロラジオ
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残念なuじゃが🥔 投稿者
そんなこんな何度か気にいったお店へ、 何度かご訪問させて頂き、そのたびに ただ、 『手際よく』『一滴も余さずに頂き』『素早く退出』していただけの、ある日。 色々な『おかしな』現象が起きる。 ふと、とあるそのお店の『シェフ』が、ワイの座るテーブルの近くを、何か持ってウロチョロしていたり。 チラチラとワイの卓を眺めたり。 はたまた、ふだん頂いているお肉のロティ(ステーキ)が、とてつもない柔らかさだったり、 抜群のなめらかさのソースが、溶岩の様に『泡立って』いたり。 ゴールのときワインを残していたら、注文していない甘味が出たり。 …やがて、シェフと語らう日が来たり。
残念なuじゃが🥔 投稿者
料理屋に、こだまする万雷の拍手は、とても静かで、短い。 真摯にお料理と料理人のかた、サービスパーソン、料理店に向き合うとき、 いかに素早く 静かに 一滴も余さずに そして丁寧に味わいながら 頂く、 という事に、どうしても…たどり着くもの。 それゆえ、食べ慣れたかた、品格のある方ほど、手際が良く、速く、またまるで使っていなかったかのようにお皿を頂きお返しし、 お会計も退出も、何もかもが『速い』。 こればかりは、1:1で相関している。 先述のガキンチョ、品のない学ぶ気も無いかたほど、反対。
残念なuじゃが🥔 投稿者
心地よいひんやりと8度まで冷やされたポタージュ。 ひとくちすくって食べてみると、 『これって、間違いなく…ごぼうだ。』と分かる。 爽やかな夏の山の緑のかおり。 唯一の、あの優しげな、土の、ごぼうのかぐわしさ。 いっさい砂糖も加水もせずに、こんなにもゴボウって、ほっくほくでかろやかで、甘くて、うまみが有るのだと。 時がゆるやかに流れ出し、 世界が拡がってゆく音が脳の中に奏でられ始めたのを聴く。 はっ、とスプーンが止まったとき、 スープポットの中には、ほんのわずかな、ポタージュしか残っていない事に気づき、 その最後のひとぬぐいを、全粒粉のパンや、指でぬぐうことは、なにひとつ浅ましくない。
残念なuじゃが🥔 投稿者
強制するものではないが、 心を配る、ということを、行動のみで示せる。 ということを、『品格がある』と云う。 そして、そうでないひとのことを、『ガキンチョ』って言うんだよね。
残念なuじゃが🥔 投稿者
長いネイルは美しいけれど、 そんな時に指でぬぐえず、パンのかけらに頼らねばならなくなるのかな。 ステキな香水は魅力と自信を高めるけれど、 繊細で唯一無二の、夏の山のかぐわしさは、セクシーなムスクや、たけだけしく立ちはだかるフローラルの前では苛められた子のように影をひそめる。 叶うのなら、たった1杯のポタージュのため、 数10時間という作業時間、『たった一度の、有限の人生の一部』を用いて下さった、料理人《シェフ》に、 そして、そのかたが、この味に到達し《具体化》出来るまで研さんに掛けた人生の時間に、 感謝と『ごちそうさまでした』そして惜しみのない賛美と敬服を述べたい。 だからぬぐうの。