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残念なuじゃが🥔
そのあと、
記憶がない。
どうやって帰ってきて、我が家の定位置に収まるまでの服の着替え・ふとんの展開・かばんの整理etc.etc.という
それら、20個ほどのアクションが、「いつも通りに」処理されて定位置に収まっていた(本体ボディも)。
帰ってきたのは、領収書ログから読み解くと、どうも路面の某ドトコーヒーに座り、srideを待ち、タクって「完全に家の前まで付けてもらう」料金で降りたらしい。
(お家は太い国道や駅などから、歩くとわずかなのだが、高低差が有り、クルマを玄関にツケるには複雑な一方通行を700円ほど超遠回りが必要)
完全に意識て放しても、カラダに自動操作マクロが、馴れ染みついてるなぁ…
いま、意識は戻ってるが(笑)
(そしてイタイヨー)
どうも…ここ最近、VRゴーグル内でのシゴト慣れし過ぎたためか、
リアルの肉体操作も「客観視」が行くトコまでイキだしたかもしれん。
VRゴーグル越しに紙にペンで漢字や図を書いていても、
その「意識」の矛先は指先や紙ではなくて、「書いてる自分」の未来予知映像だしな。
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2025年10月14日です

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tanutanu
じゃがさん、客観視超えて傍観者的に自分を見ないで欲しい。同じことを今の身体状況で他人がしてたらどうなの?
申智埜翁
デカルトもフッサールの現象学も世界シミュレーション仮説も案外に、こういった感覚から発する問いなのかもしれないなとふと思いました。
残念なuじゃが🥔 投稿者
ハラオチですっ。アフォーダンス理論の周辺でしょうか。 茶道でも、無我や、自我と空間宇宙との合一が基軸テーマとして在ります。 ワイはまだまだザコでして、 (ようやく叱られながらコキ使ってもらえたり、普段のおけいこでお点前の動き自体は何も言われなくなったけど、急に《ズレ》されられたり、な所です) 所作は楽器演奏のようにトレースしつつ、時間が「延びる」感覚は、時々持てています。
残念なuじゃが🥔 投稿者
久しぶりに「記憶が途切れる」経験をして、ちょっと面白かった、というかまた新たな「発見」があったので、 言語化をする前のメモ/日記として。 まえはよく3徹4徹とかして、友達同僚とファミレス会話中に、まさしく会話の途中に「いきなり電源オフ」していたけど。 (目が覚めたら、居たはずの同じテーブルの友達たちが誰も居なくて、 目の前に食事と、座ってる自分だけが居た。 という怪奇現象は、人生で1度体験している。(お会計は済んでた))
残念なuじゃが🥔 投稿者
メモ続き:自分の行動を「丁寧にしつけ」して、マイクロモジュール化しておき、 その行動には意識を向けずに (自動化。脊髄にまかせる) その行動している時空間を観察する。 そうして改善点=より1秒でも稼げる手順と、ことわりを探す。 大脳は、0.05秒の即断即決はしているけど、肉体操作のほんのかすかな制御には関わらない。1度、小脳脊髄に「微細な肉体操作の改善ポイント」はまるっと投げて馴化を信頼する 大脳は、その指令出した直後には、行動を置き去って「別のもっと考えるべきこと」へとフォーカスする。→眠くてもどうにかなる時の無理矢理に似てる 「人の観察・言語獲得・対話」モデルに応用できる予兆が閃いた