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残念なuじゃが🥔
とかな投稿を読んだ。
のだけど、
そういうのも華やかな文化の継承。その頃の高校生は今は親御さんですよね。
だけど、当時は、ちょっとよく分からなかったなぁ。
存在は知ってたけど。
高校の頃は、ケンカ吹っかけてくる相手に発勁打つために家の2階のひさしで片手懸垂したり、マンガ描いたり、過酷な学校の課題したり、数研でフェルマーの最終定理を出たばかりの32ビットパソコンで解くためにハッシュの概念を車輪の再開発したりする日々だった。
大学中や卒業したあたりは、ブランド品や時計よりも、パソコンに(当時のお金で)50万くらい掛けたり、
誕プレは、横3メートルの硬質板ガラスを希望したりしてた。(机にした:今も有る)
一緒に運んだなぁ。懐かしい。
そんなだから「ふつうじゃない」と扱われるし、「ふつうなひと」には相手にされず、家庭も持てなかったのだろう。
かと言って、トガってるね!と言われたいワケじゃないんだけど。
おっさんになって、それなりにブランド品などに手を出したりはした(してる)けど、
ぶっちゃけそういうの疲れるんだよな。
付き合い浅い人に「わーxxxですよね✨いいなぁ似合ってる✨」とほめて?頂き、反射的に微笑を返すのもかったるくなって来たし、
その話題の続く間、あいづち打ちながら先日観た画廊の事を思い出したり、献立を考えてる。
それはまた、茶会や催しの場面で、しっくりと風景のようにそつ無く溶け込むために、最上級の正絹を「地味に地味に」と反物問屋さんに頼みこみ、知恵を授かりながら(大枚もはたいて)仕立てて、
当日に「着られないよう」地味に装うのに苦心して、したくに手間を掛けるのよりも、もっともっとげんなり疲れるし、違うことに感じられる。
いや、ブランド品というものも、社交の仕組みのひとつなのかなぁ。
清潔感があって、どこにもとがりが無くて、質が良く整っていて、でも何の印象にも残らないような、誰にも話題にされないような、装いだけでいい。
会って、その時に話す相手に「はっ!」と知る喜びや感動を共有できて、でもしばらくして「誰から聴いた話題だったっけ…」と、ただ忘れ去られている位がいい。
手掛けたモノや概念が今とちょっと後の何かの役に立っていて、自分の存在は可能な限り透明なのが心地よい。
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