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コカコーラ
身体は誰かの記憶につながるための鍵の役割なんだと思う。
その人の何をみてその人だと認識しているのか。顔だけじゃない。顔の一部、身体のどこかからその人の何かを感じることができる。身体の全部は見えないけどシルエットや筋やいろんなもので認識できる。
もしカラダがバラバラになってもわたしは自分の脚を見つけることができる。腕は見つけられない。それに愛着がないから。でも手なら?見つけられそうな気がする。
自分の好きな人たちの中に何をみつけているのか。何故私はその人と分かることができるのか。そして私のどこまでみせればわかってもらえるんだろう。









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カラヤン
身体と記憶の鍵の関係性、とても響きます 身体は心と心を通じさせるために必要なインターフェイス 何かで認識してその人の心を想うのかもしれませんね 見える身体、見えない心 見えない心だからこそヒトは何かを伝えようと頑張る姿に感動するのかもしれません
まる
自分も他人も未熟な自意識通って認識してる気、になる。