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ゆ📷🐶📚🎞
何というか、自分は素晴らしい人間だと思う事それ自体に自己肯定の根拠を置いてしまうと、砂上の城ではないかと(即ち、自己陶酔や自己洗脳を通した認知の歪みが生じてしまい、他者関係との間で不協和が起きたり、他者からの評価と自己評価が大きく乖離した場合、そのギャップを埋めるために心理的な防御機制が働かざるを得なかったり)。
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すべての行動への移行エネルギー障壁が低くなり、いろいろなことができる

さいき
アブナイネェはどんなシーンで使われる?
アブナイネェは、主に以下のようなシーンで使われます。
危険な状況: 何か危険なことが起こりそうな時や、注意が必要な場面で使われることが多いです。例えば、友達が危ないことをしようとしている時に「アブナイネェ!」と言って止めることがあります。
冗談や軽い注意: 友達同士の会話で、ちょっとした危険や失敗を指摘する時にも使われます。例えば、友達が高いところに登ろうとしている時に「アブナイネェ、落ちるよ!」と冗談交じりに言うことがあります。
感情の表現: 驚きや焦りを表現するためにも使われることがあります。何か予想外のことが起こった時に「アブナイネェ!」と叫ぶことで、その感情を強調します。
このように、アブナイネェは日常会話の中で、注意喚起や感情表現として幅広く使われています。
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ゆ📷🐶📚🎞 投稿者
いや、無根拠に、自己に対し「私は最強」と唱える事自体が既に防御機制だと言えるかもしれない。だとすれば辛い世の中だ。
こやなぎ
自己肯定感ってだめな自分だったとしても認めてあげること、自分を愛せること、自分を価値のある人間だと思うこと、自分は自分だ、ありのままでいい、みたいなニュアンスだと思うんですよね。根拠のない自信とはまた少し違うのかなーとも思います🤔 有用感とも似てるからややこしいのかな。 本当に自己肯定感が高い場合は、あんまり他人の評価を気にしないような気もします。
ゆ📷🐶📚🎞 投稿者
端的に、自分の有価値を確認しそれを守るためにストレッサーに片手を突っ込むのは辛くないですか、と。
ま
非常にわかります…… 「生きづらさを緩和する」という目的の一手段として、「自己肯定感を高める」ことがあるはずなのに、 いつの間にか「自己肯定感を高める」ことそのものが目的になってしまって、肝心の生きづらさ問題はあまり解決してない……といった事態になるのかもしれないですね…… 理想的なことを言えば、「自分自身の特性についてはあくまで客観的な視点を持つよう心がけ、それを過剰に肯定することも、過剰に否定することもしない。自分の特性が原因で他人と不和が生じた場合は、自分を変えていく努力をするか、不和が生じる他人や環境と距離をおく」というのが個人的にはあるべき姿だと思いますが、難しいですよね…
🍮
「ゆ」さんおはよう。 憂鬱な朝は、あなたが教えてくれたこの曲を贈りたい。 YouTubeにある動画にハマってる、ありがとう。
コットンキャンディえいえいおー!
黒澤ルビィ (CV.降幡 愛) from Aqours