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まあ
その2
中3の時の若い新任の先生。教科担任だったのでそこまで密な関わりはなく、学年で一番やんちゃな子達と仲良い先生だったので、わたしのことなんて眼中にないだろうなと思っていたが、卒業式の日たまたまその先生と話す機会があり、その時になんとわたしの名前をフルネームで呼んでくれた。名字を覚えてくれているだけでなく下の名前まで覚えてくれていたことがものすごく嬉しかったのを覚えている。名もなき一生徒ではなく、ちゃんとわたし個人を見てくれてたんだなと。自尊感情が爆上がりした。
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まさや
回答数 176>>

れお
あと、学校で俺の作り話して潰しに来るのはいいけど、毎回学校からの電話やめて普通に
どうせ陰口しか出来ないやろ。
安全地帯で言いたい放題しとけばいいよ

りん

兵六堂
特異な個体をいちいち考慮してルールなど初めから作れるはずがないのに、でかい顔してごちゃごちゃ騒ぎやがるからそれらを黙らせるにはそれしか無いのだ。
ただし内面の自由には抵触しない程度にである。
特異な個体が、見えないところで人に迷惑をかけない範囲でコソコソやってる分には全く構わないわけだ。
まぁ現行のルールでは、それさえ裁きの対象となるのだから、ルール側が初めから歪んでいるとはいえるのだがな。
余談はさておき、ルールを作ったのであれば、きちんと罰を執行しなくてはならない。
それを行えないのであれば、そんなものは破綻している。
信仰だの、民族性だの、国民性だの、右だの左だの偉いだの偉くないだの無関係に執行されなければそれは破綻である。
そこはマシーンの様に白黒つけなくてはならない。
人情も要らなければ、敵意も要らないなぜならそれは後からやってきたもので、要はそれらは余計だからだ。
どうしても、情状酌量とか言いたい人のために釘を刺しておくが、その様な特殊な状況でルール違反が起こるのは社会システムのためだ。
個人に対して多めに見て欲しいなどというのはズレたヒューマニズムに過ぎない。
大元を叩かないのであれば、永遠に例外的な譲歩を要求され続けることになる。
そんなものはただのルールの欠陥である。
差別とは自治を守るための人類の知恵なのだ。
それが嫌なら、密かに人に迷惑をかけずに行うか、別のルールの共同体に移動するかしかない。
そういった選択肢が与えられているにも関わらず、それを拒む特異個体は粛清するしかないのだ。
差別とはそれだけの話だ。

兎にも角煮も
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をん

ナス子
空港税関
回答:税関チェックの後ろのパーテーションにりん太郎
#トッパーマンシールを探せ
#突破ファイル

あき。

せら

はしゅ@

凛々(り
せっかくならどんなキャラが居るのかチェックして…何かめっちゃ居るらしいね

ちりつ
何‰だよ

ぐんか

ヤスモ
なんなん今年の外野は #rakuteneagles

彗哉
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