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けいさー慶佐ー
今日は、寒いですね。
日本海側は、風雪なのかな?
将棋と、人生を例えると、
僕は、今まで勝ちばかりに固執して、
面白くなくなっていた。
勝っても虚しい。
負けて悔しい。
面白くなくても、指し続けてきた。
強くならないと、生きていけないなんて、
たかが、趣味の将棋に、
自分の人生の修行の様に、
重ねていたりした。
単に、面白かったこともあったし、
実力が反映されるだけなのが、
清々しかったこともある。
責任は、自分だけの問題なんだ。
Simpleでいいな思う。
人間関係の悪い面がなくていいから。
僕は、もともとは、賢い方の人間なんだと思う。
元より、病気気質だから、
どんどんと歯車が狂っていったけど、
周りの人々よりも、賢いと話が合わない。
合わせるのも、面倒だなと思う。
理論的に、話してるだけなのに、
感情論を、周りの人々は、持ち出してくる。
いやいや、ただ、筋がこうだからと説明を、
いちいちしないといけないのは、
心外な気持ちによくなる。
いつしか、病気が酷くて、妄想の世界に行ってたと、
昨日、自分とは、1人だと気づいた。
僕は、多重人格の様に、
それが当然だったから、
はたと、こんなに狂ってるんだと、
ビックリした。
今は、正気だと思われる。
YouTubeで、阿呆を演じないといけなかった天才の昔話を観て、
「天才になりてぇー」とか、
馬鹿を演じてたのは、
そもそも、理由があったのだったと、
自分は、誰だったか?ばかりを、
気にしてたのは、
僕が、僕を生きてなかったからだと、
今なら、わかる。
科挙に合格するほどではないけど、
僕は、INFJ-ACなので、
汎ゆる事の言葉の裏側、思惑、感情を、
言葉を使わずに、理解できる。
地頭は、よかった人間だったと、
別に、これは、事実を述べてるだけなんだ。
そんな訳もあって、事情もあって、
僕は、僕を生きる事を辞めていたし、
人生は、有りの儘を生きろ!が、
たぶん、正解なんだと思う。
将棋の話では、
人間関係に疲れて、
心を亡くして、
畜生や餓鬼のように成り下がった僕だった人間になってた僕は、
自分を忘れて、戦いに明け暮れた。
盆も正月も、夏休みも、平日も、Xmasも無く、
将棋を指して、人生に勝たないとと、
わけが分からなくなっていった。
勝てばいいんだろ?
と。
それでもつまらない。
最近は、心がある人間なら、
生きていけるだけ、
そもそも優しい社会なんだと、
迷惑ばかり掛けて、
馬鹿になりきってた僕は、
やっと、人を信じる気持ちになれた。
両親を、呆れたり、冷たく見てた時もあったけど、
人間なんか、皆同じで、
仏教的にみたら、
可愛い生き物な気がするよ。
舐めてるのではなく、
生き物の存在は、可愛い。
人間だもの。
理性だけで、生きていけない。
五賢帝時代の哲学者、アウレリウスの様な内省をよくする人間だったなと思い出した。
僕は、僕だし、
誰でもなく、何者でもないから、
何も人格を問題化する必要がない。
これで良かったのだ。と、
一つ腑に落ちた気がする。
人は、頭を使いガチなのだけど、
わかっていても、打てない速球を、
どう打つか?思案しても意味が無い。
そこには、考察も、推論も、奇抜な発想も、
少しばかりの力自慢も意味もない。
面白い人生にしたかった。のは、
現実なんか面白くないと、
思っていたからだ。
だけど、将棋の勝ち負けだけに拘るのではなく、中身に目を向ければ、
負けても楽しめる心は、内側に在る。
少し反省して、次はこうしようかな?
で、ポジティブな人は、最強ではなくても、
無敵にはなれる。
そもそも、天下無双=特別なオンリー・ワンなのだ。
僕も、彼も、彼女らも、皆。
人間なんか、ちいかわみたいなもんだと思う。
僕は、もう大人だった。
妄想ではなくて、
歩いていくよ、猿のままで1人。
というか、ただ、明日へ向かう逃亡者の様な気がする。
立ち向かう意味もなく、不毛な争いは、
まっぴらごめんなのだ。
強さや巧さや、弱さや下手さでは、
人生は語れない。
答えがない事が、自由という空白が、
幸せとか、不幸ではなく、
そもそも価値があるんだと思うよ。
人生とは、ただ僕が生きる事だよ。
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ねる
面倒くさがりっていうか多分病気

琉那𓈒𓂂 𓈒𓍼

臼井優
謗法罪(または誹謗正法)は、主に日本の仏教、特に日蓮系などの一部宗派で重要視される概念です。
「正法」を謗る(そしる)罪:釈迦の教えの真意、特に『法華経』などを信じず、否定したり悪口を言ったりする行為を指します。
「正法」を広める人を誹謗することも含まれます。
五逆罪よりも重い罪とされることがあります。親殺しなどの五逆罪は目に見える行為ですが、謗法は正しい教え自体を否定する根本的な悪(悪い心)と見なされるためです。
両者の関係性
謗法罪の概念は、以下のような形で宗教的対立と関連することがあります。
教義による他者排除: 特定の教え(例えば法華経)のみを「正法」とし、他宗派の教えを「謗法」と見なす立場からは、他宗派に対する厳しい批判や、交流の拒否といった態度につながることがあります。
排他的な信仰の実践: 他宗教の本尊や物品を処分するように求める「謗法払い」といった実践は、異なる信仰を持つ人々との間に摩擦や対立を生む原因となり得ます。
対立の正当化: 謗法という概念が、自宗派の正当性と他宗派の誤りを強調し、宗教的原理主義と結びついた場合に、紛争や争いの論理的な根拠として利用される危険性があります。
つまり、謗法罪という特定の教義が、信者間の違いを絶対的な善悪の対立として認識させ、結果的に宗教的対立を激化させる要因となり得る、という関係性があります。
🌜🌛
とか言うから、その分あげるわって言ったら、そーゆ問題じゃないとかさらにキレ出して、おまえはいつもそーだ今回だけじゃないとか言ってすんごい剣幕でキレるから、ポテトごときでキレるなって言ったらさらにキレて、それはおまえの価値観だろとか言ってまたキレて、え。この人の心の狭さに引くわって思った。
食べきっちゃったならわかるけど、全然まだまだあるからあげるって言ってんのに、ちょうどエル分食べたいんだこっちわとか言ってくんだよ笑
どーでもいいわまぢで。

るん
離れたいのにやめたいのにそんな勇気も持てなくてずっと同じことの繰り返し。
ほんとダメなバカ人間だわ

ライム

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