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Fahrenheit
・家事の分担などはきちんと決めてあるのか
・相手の家事のやり方に文句は言わないのか、或いは自分ならこうするということをきちんとやり方含めて伝えてそのとおりにやってほしいと言う合意を得てるのか
・結婚当初、または問題が起きる前には予見できなかった(少なくとも片方がそう思っている)事態によって分担ができない場合に、話し合いはしてるのか(またはそのように合意しているのか)
・その家のためのタスクの開始条件を決めて、その条件が起きて不場合には必ずやるという合意を取り付けているのか(いつまでたってもやらないと思っているが、実はやらないといけない条件を満たした状態とは見なしていない場合がある)
・それらの不履行によって、不都合が生じる場合にはどうなるのか、どうするのかを双方で合意しているのか
などは最低決めてあるんだろうな?
個人的には、
・家事は最大限ロボットか全自動家電を利用して手間を掛けない
・基本的に自動家電は(洗濯以外は)毎日夜にやる(夜にやれるように住居を考えるか、住居内でやれる時間帯を決めておく)。その条件以外では前提としてどれだけ散らかっていても緊急の用がなければならない(他にやりたいことを優先)
・最小限の手間で済むように生活そのものを変える(服などは週末にまとめて洗い干しが可能なように、運用形態に合わせて1週間分+αを確保する)
・部屋の掃除などはホコリが舞ってたり衛生的に問題がないと() 経験的に思える範囲以上はやらない
・ゴミはゴミ箱を分別可能な数用意して全て捨てる段階で仕分けておく
という具合に、自分なりにやり方は考えているが、そこでやり方そのものにまで「できてない」と言われると、じゃあ何をどこまでやればいいのか?という質問をするしかない。
そういう面倒がないように自動家電を導入しているわけでもあるのだから(もちろん壊れたら修理または買い替えまでは代理手段として、履行のために手動でやるが、あくまで一時措置でしかなくそこに不満を持たれてもな、と言う話)。
要するに、この手の人は何かしらストレスを溜めてる、というぐちを言いたいだけなんじゃないかな。
それなら、私は一人のほうがナンボかマシだと思ったので、離婚したんだけどね。
そんなことを言う相手がこちらに愛情を持ってるはずはないし、アドラー心理学を読んでれば「そういう人はもう愛情などは持ってなくて、そういう自分を正当化するためにぐちを言ってるだけ」ということもわかっているから。
もちろん、自分が楽をしたいだけのために、事情もないのに約束を履行もせずに相手にやらせるというのが良くないことは分かっているが、上の条件でも普通に冒頭のような文句をガールズちゃんねるとかで書き込んでる嫁を見つけたので、離婚したんだよね。
離婚後は、家電がほぼ全部必要なことはやってくれるから、愛情がないのなら居なくてもよかったのだ、と気がついた。
どうせ1型糖尿病で、栄養以外に必要な要素がない(おいしさなどは苦手気でしかない)と割り切ってるので食事も大して手間はいらないし、自分の給料を好きなことに使えるのだから、こんなにいいこともない。どう考えたって同じ給料をもらえる嫁なんてほとんどいないのだから、私にとって結婚して生計を立てるということは、ほとんどの場合私が稼ぐ金を主として相手の人生プランを支える必要があるということであり、それこそ双方に愛情がなければ「なんで私がそこまでせないかんのか?」と、思わざるを得ないわけだし。
コメント
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飲むヨーグルト
本当に本当にありがとう
きっとたくさん周りの人に相談して悩んだんだろうな、理解してくれてありがとうね

だうと
回答数 61>>

とかげ✯🦁✯
発表されてる北海道、青森~宮城、福島あたりの方身の安全を確保してくださいね!
余震などにも気をつけてくださいね!

Alice🐌
(´-`).。oO(写真も用意しなきゃな

キーマ
回答数 32>>
chitto
やっぱり美容液といい化粧水は違ぇや👏
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言葉の成り立ち: 「ドッチ」は「どちら」を意味し、「モ」は「も」を強調する助詞です。つまり、選択肢が二つあるときに、どちらも同じくらいの価値や魅力があることを示しています。
遊びの文脈: 子供たちが遊ぶ際に、どちらのチームに入るか、どの遊びをするかを決めるときに使われることが多いです。このフレーズは、遊びの中での軽い選択を楽しむ要素を含んでいます。
文化的背景: 日本の伝統的な遊びや遊戯の中で、選択を楽しむことは重要な要素であり、ドッチモドッチモはその一環として根付いています。
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