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あり田
私は最近、次のような問いに強い関心を持っています。
主観性に気づくことは、責任の発生や他者への影響の仕方を変えるのか?
「自分の主観を自覚すると、無意識の振る舞いは減るのか?」「主観を自覚しないと、気づかないまま他人を支配してしまうのか?」
「日常の中で「責任」と「支配」はどう現れているのか?」
こうした問いは、心理学だけでは説明しきれず、倫理・言語・現象学・社会哲学などが交差するテーマだと思っています。
そこで、この場で皆さんと一緒に、私にはまだ見えていない問いの発掘や構造の深掘りを進めたいです。
小さな例や疑問の共有でも大歓迎です。
ぜひ、力を貸してください。よろしくお願いします。
コメント
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ᜊ•o•ᜊ
そりゃ学生と大人だもんね
#愛知 #学生


ゆか
相手もいないが

Sub
誕プレ持ってるから見られたら気まずい...💦

パワハラ上司
本垢知ってる人は怒らないから手を挙げなさい

凛️ちゃん
誰か慰めて( >
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塩焼き

月城✒

塩焼き

RE:Rise Ve
#jll813

月城✒

塩焼き

月城✒
明るくなったら外に干す

RE:Rise Ve
熱帯夜で眠れなくて、大汗かきながらの目覚め...今年も夏やね #jll813

塩焼き

ぷーた
遅くなったけどこれにて仙台遠征終了!
次は…名古屋かな?←
って打ったところで寝落ちしてたw
疲れてはいるけどエネルギーチャージしたし今週も頑張ります!
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あり田 投稿者
対人同士の意思疎通的コミュニケーションにかかるバイアスについて「主観性の自覚状態、無自覚状態でどのように責任と支配に影響があるものか」というものをベースに考えております。そこにレベルという数値は含まず考えていました。レベルという数値は主観的レッテルとなります。つまり強さやレベルではなく「どういう特徴を持つか」を考察することを目的にしています。
あり田 投稿者
ここで第一コメントとして、私が「主観性の自覚と責任と支配」について、どのような思想家を参照し、どのような角度から理解してきたのかを少し紹介します。今回紹介する学者はフッサール、キルケゴール、サルトル、フーコーの4名です(他にもプラトン、カーネマン、アーレント、アルチュセール等を参照していますが、ここでは4名に絞ります)。
あり田 投稿者
まずフッサールの「意識の志向性」です。これは「主観性の自覚と責任と支配」の全体に関わる要素です。私は「行動を評価する前に、意識が何に向かっているのか」を問う視点として取り入れています。つまり、意識がどこへ向けられているかが、合理性や責任、そして他者・自己への支配(影響)を決めているのではないか、という点で重要だと考えています。
たむい
「期待」という観点で見てみることを提案します 自分から自分への期待 自分から他人への期待 他人から自分への期待 他人から他人への期待は自分に関係ないので無視します 挙げられた哲学者の考えをもとにすると、 他人から自分への期待は 自分が他人から感じている期待といえます 他人は親だったり教師だったりするかと思います よければお試しください