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あり田

あり田

皆さんは「主観」と「客観」の関係を、個人の責任や他者への影響(支配)という視点から考えたことはありますか?

私は最近、次のような問いに強い関心を持っています。

主観性に気づくことは、責任の発生や他者への影響の仕方を変えるのか?
「自分の主観を自覚すると、無意識の振る舞いは減るのか?」「主観を自覚しないと、気づかないまま他人を支配してしまうのか?」
「日常の中で「責任」と「支配」はどう現れているのか?」

こうした問いは、心理学だけでは説明しきれず、倫理・言語・現象学・社会哲学などが交差するテーマだと思っています。
そこで、この場で皆さんと一緒に、私にはまだ見えていない問いの発掘や構造の深掘りを進めたいです。

小さな例や疑問の共有でも大歓迎です。
ぜひ、力を貸してください。よろしくお願いします。
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コメント

あり田

あり田 投稿者

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対人同士の意思疎通的コミュニケーションにかかるバイアスについて「主観性の自覚状態、無自覚状態でどのように責任と支配に影響があるものか」というものをベースに考えております。そこにレベルという数値は含まず考えていました。レベルという数値は主観的レッテルとなります。つまり強さやレベルではなく「どういう特徴を持つか」を考察することを目的にしています。

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あり田

あり田 投稿者

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ここで第一コメントとして、私が「主観性の自覚と責任と支配」について、どのような思想家を参照し、どのような角度から理解してきたのかを少し紹介します。今回紹介する学者はフッサール、キルケゴール、サルトル、フーコーの4名です(他にもプラトン、カーネマン、アーレント、アルチュセール等を参照していますが、ここでは4名に絞ります)。

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あり田

あり田 投稿者

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まずフッサールの「意識の志向性」です。これは「主観性の自覚と責任と支配」の全体に関わる要素です。私は「行動を評価する前に、意識が何に向かっているのか」を問う視点として取り入れています。つまり、意識がどこへ向けられているかが、合理性や責任、そして他者・自己への支配(影響)を決めているのではないか、という点で重要だと考えています。

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あり田
あり田
次にキルケゴールの「主体性真理」です。これは主観性の自覚を向上させる要素として扱っています。主体性の真理を理解することで、自分の発言や価値づけが「客観」ではなく「主観」に基づいていることに必然的に気づくことができます。つまり、自分の語りはあくまで主観である、という視点に立てるようになります。 次にサルトルの「自己欺瞞/レッテル貼り」についてです。これは主観性の無自覚が他者支配へ繋がる構造を指摘するために取り入れています。相手に貼ったレッテルは真実なのか? いや、それは「自分が相手をそう評価しただけ」ではないのか? という問いが立てられます。評価や決めつけを真実として扱う態度が支配へ繋がる、と
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たむい

たむい

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「期待」という観点で見てみることを提案します 自分から自分への期待 自分から他人への期待 他人から自分への期待 他人から他人への期待は自分に関係ないので無視します 挙げられた哲学者の考えをもとにすると、 他人から自分への期待は 自分が他人から感じている期待といえます 他人は親だったり教師だったりするかと思います よければお試しください

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あり田
あり田
期待という観点は客観から感じるものであれば自分は相手に「相手は自分に期待しているであろう」というレッテルを貼ることになります。また、自分が相手に期待するということは「相手は自分の理想通りに行動してくれるであろう」とレッテルを貼ることであると言えます。
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