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薔薇色無縁人生
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Mimo

日向
「ブルーボーイ事件」観後感
自分はマイノリティな面をいくつか持っていて、自分がそれを素直に受け入れられず、ある時は強がり、ある時は自己憐憫に浸り、自分自身が自分のありのままを受け入れられていない。
そして、それを「欠点」(『普通ではない』)と捉えてしまっているため、それがあればあるほど、他人から見た自分の「幸せの基準」はどんどん高くなってしまう。自分は「普通の人」とは違うのだから、人よりもっと成功しないと、人から不幸に見られてしまう、と。でも今、普通の幸せすら手に入れることはできていない。
そうして考えてしまう。
「普通の幸せ」とは何なのか、と。
この映画の時代にくらべ、現代は多様性が尊重され、「普通」に対する価値観や概念も大きく変化しているが、自分の中の「普通」という概念への捉われをなくさない限り、いつまでも自己憐憫の沼から抜け出せず、自分にとっての幸せを手に入れることは難しい。
映画の趣旨とは少しずれているかもしれないが、そんなことを考えさせられた映画でした。


Yoo
回答数 19>>
そういった視点で見ると、SNSというものはあくまで個人同士のやりとりであって、「権力的ななにか」までいえないかと思います。少なくとも意思を持って、権力的に振る舞うということが難しいというか。それこそイーロンレベルのプラットフォーム自体を(政治的に?)支配するなら話は別でしょうが。いくら有名youtuber,tictokerだとしてもバンされればそれまでなので。
そもそもSNSは当初から玉石混交というか、基本的に何でもありな世界なので、揶揄されるオールドメディアの足元にも及ばないのでは。新聞テレビとSNSが同等の意義を持つ、なんてことははなからないように思います。
まあ、何事にも栄枯盛衰があるといわれればそれまでかもしれませんが。
ぱんてら
共産党は90年代から中国市場依存を危険視してる。
勿論、中国に経済的に依存することで日本が得た利益はあるんだろうけどね。

加藤のごはん
なら公平な社会の実現は難しいな
フラミンゴ
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