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Daisy
回答数 23>>
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エイト
文学系・数学系・芸術系・体育系・迷子系
どれにあてはまります?

凛𓍯
教員を目指す人が少ないのは、
1.仕事の過酷さ(低賃金働かせ放題サブスク)
2.教職に対する憧れの減少
3.実習時のマイナスイメージ
4.学校で学ぶ子ども主体の教育と現場の一斉型の教育との乖離
が大きな理由で、単位が〜とか言ってる人見た事ないけどな


田中くん🤧
明日からのスキチケピック
コイン稼ぎの調子、最終日何が来るかわかってから引く引かないを決めようかな🙄


たぴ

風
回答数 4>>

しおん

瑞樹
するためだけの不愉快な妄想。
こんなもので救われてしまう軽い考え方
だからこそ、逆に簡単に傷つくのだ。
試行錯誤は素敵なことだ。私には行う事が
リスクに思えすぎて試行はあまりできて
いないが、自分の範囲でしていたいなと
なんとなく感じてはいるくらいには、
素敵だと思う。苦しかったりするけれど
それは別に悪いことではないと私は思う。
にも関わらず、答えを先走って見つけようと
する私はなんなのだろう。一体なぜ未だに
「答えさえわかればいい」と思って
しまうのだろう。
勉強でもそうだ。
人生の発達が遅れてきた私の、ごまかしの
きく方法は、「答えのみを見つける」こと。
過程まで考える時間はなかった。
周りは私が1ページを読むうちに
5ページは容易く進んでいるのだから。
一度ついた差を取り戻すのは極めて難しい、
ならば先に要点を見つけるしかない。と
私は考えた。確かに学校であれば、成績
維持くらいはできる簡単なリスク処理だ。
答えが見つかれば進む道がわかる。
取り零したものは、復習や実践で学べば良い。
それ自体には、それほど悪いと感じたことは
なかったような気がする。
ただ予想外だったのは、私がそこで「広げる」
ということをしなかったことだ。
私にとってはその「答えを見つける」ですら
すら容易ではなかったということ。
他者の言葉をいくら借りようと、本を読んで
みようと、一向に答えは定まらない。
むしろたどり着いたと思った先が、
「これはほんとうに自分が考えて見えた
答えだったのだろうか」と全てが嘘のように
見えたのだ。
実際、当たり前なのである。答えというのは
考えた先に見つかるただの副産物であり、
それに同じものなどありはしない。なにせ
人間が全く同じ思考で同じ環境で、能力で
生きることなどありえないのだから。
けれど私はそれに気づくにはあまりに頭が
足りなかった。都合の良い答えは、あまりに
綺麗に見えてしまったから。
考えたはずなのに、何も考えてなど
いなかったことに気がついたのは、
やっぱり元の自分を見つけた時だった。
考えることはとても難しい。
人間は1人では生きていない。集団で大抵
生きている。その中で純粋に自分だけで
考えるなどとてもできない。
ただ、その中で自分として考えるかどうか
くらいは選べるのだ。迷っても苦しんでも、
そこから逃げなかった人間は、どんなもの
より価値があると私は思う。
まさしく、「自分の人生を生きている」と
私は思ってしまう。そんな人たちを見るのが
とても好きで、けれど同時に羨ましい。
私にはそれができなかった。他者に判断を
委ねるのが楽だった。
だがその「楽」は、決して人生を楽しくなど
してくれないのだ。
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ふおお
京吾兄ちゃんは砕けた口調なのに対して心ちゃんは敬語……ゥ…………………………………………………………………… #ラストマン

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