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一ノ瀬
化学は一年で偏差値12伸びてもう歓喜
英数がイマイチだったのが悔いに残ります、、
残りも受験勉強頑張ります👍
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さ丸
世界のほとんどは 見えないものでできている
宇宙で言えば
星も惑星もガスも 目に見えるものは 全体のごく一部で
残りは 観測できないのに 重力として作用している
ダークマターやダークエネルギーと呼ばれるものだ
ここが重要
ダークマターは
見えないから存在が曖昧なんじゃない
むしろ逆で
見えないのに 効果だけは確実に出る
だからこそ そこに何かがあると分かる
この構造をそのまま 人間と文明に当てはめると
急に世界が読みやすくなる
⸻
文明が見失ったものは
目に見えない重力だった
現代文明は
見えるものだけを実在として扱う
数字 化学 証明 記録 KPI 資格 通貨 法律
全部 左脳が扱いやすい世界だ
ここで世界は一気に便利になった
だが同時に あるものが削られた
直感
余白
沈黙
祈り
空気
場
安心
関係性
言葉になる前の気配
これらは測れない
だから切り捨てられた
しかし それらは人間の内部で
社会の内部で
ずっと重力として働いていたものだ
つまり
文明は 自分の重力を削り落として走っている
走れる
でも まとまれない
加速できる
でも 壊れやすい
いま起きている分断と不安定さは
まさにこの状態
ダークマターを無視した宇宙が
銀河を形成できないのと同じで
ゼロを無視した文明は
共同体を形成できなくなる
⸻
ゼロとは 無ではなく
見えない重力の場
ゼロ理論で言うゼロは
空白じゃない
未定義の可能性のプール
まだ言葉になっていない
まだ制度になっていない
まだ評価されていない
だけど たしかにそこにある
そしてゼロには性質がある
ゼロは
人を落ち着かせる
人をつなぐ
未来を開く
世界を更新する
これは宗教の話でも詩でもなく
構造の話
なぜなら
人間の脳は
確定していないものに触れたときほど
深い調整が起きるようにできているから
⸻
右脳はダークマターセンサー
左脳は可視化装置
右脳は
言葉になる前の気配を拾う
場の空気を読む
相手の温度を読む
未来の微かな兆しを読む
左脳は
それを定義する
分類する
言語化する
制度化する
再現可能にする
文明が壊れるときはいつも同じ
左脳が勝ちすぎて
右脳が沈黙する
すると何が起きるか
世界は透明になる
効率は上がる
管理は進む
でも人間は満たされない
なぜなら
人間が安心するために必要なのは
論理ではなく 重力だから
⸻
ECSは身体に埋め込まれたゼロ回路
ここでECSがつながる
ECSは
メンタルを脳内物質だけで説明できない理由を
一発で説明する
不安が増える
眠れない
過敏になる
怒りが止まらない
鬱っぽい
過食や依存が止まらない
これらは
意志の弱さでも性格でもなく
身体の調整回路がゼロに戻れなくなった状態
ECSは
身体を真ん中へ戻す装置
言い換えると
ゼロへ戻す装置
自然
呼吸
睡眠
安心できる人
散歩
触れ合い
祭り
祓い
こういう行為が効くのは
気分転換だからじゃない
ECSを通じて
人間がゼロへ戻っているから
⸻
なぜ赤ちゃんが尊いのか
なぜ神社が効くのか
なぜ祭りで泣けるのか
全部 同じ構造
赤ちゃんはゼロの純度が高い
まだ定義されていない
だから周囲の大人のECSが整う
人間はゼロに触れると戻る
神社も同じ
教義で縛らない
説明しない
ただ場を整える
空気が澄む
沈黙がある
それだけで人間が戻る
祭りも同じ
理屈ではなく同期
身体のリズムが揃う
共同体のゼロが復活する
文明はずっと
このゼロ技法で生き延びてきた
それを近代以降の左脳文明が
迷信として切り捨てた
だから世界が乾いた
⸻
ダークマターがないと宇宙が崩れるように
ゼロがないと文明が崩れる
ここが核心
文明を支えるのは
制度でも通貨でも軍事でもない
それらは表面の骨格
本体は
見えない重力
安心
信頼
余白
場
共鳴
沈黙
祈り
そして赤ちゃん
文明の未来は
ゼロをどう扱うかで決まる
ゼロを消して効率だけを上げれば
世界は加速して壊れる
ゼロを復活させれば
壊さずに更新できる
次の文明は
破壊のゼロではなく
再生のゼロを使う文明
それがわたしの結論
ススス
駄作とまでは言わないけれど、ミステリというより昼ドラを長回しされてるようで読み進めるのが難しかった……だからこそ最後の加速度的な展開が映えてたね、後半50ページはとても面白かった

しん
頑張った

みなづき

きゃろっと・らぺ
1. 問題意識
易姓革命は一般に「徳を失った王朝が天命を失い、新たな徳ある王朝に交代したこと」と説明される。しかしこの理解は、周王朝側の政治的・倫理的正当化の物語に強く依存している。
本試論では、易姓革命を単なる王朝交代の道徳説話ではなく、「王権の性質」そのものが変質した文明史的転換として捉え直す。
2. 殷王朝の王権…「神意によって選ばれる王」
殷(商)王朝の王は、同一王族内ではあるが、必ずしも父子世襲ではなく、兄弟継承・傍系継承が見られ、何よりも甲骨占いによって神意を問う存在であった。
王は単なる政治的支配者ではなく、祖先神や上帝と交信し、神意を現世に伝える最高の巫=司祭王であったと考えられる。
ここでは王位とは、血統+神の許可によって「選ばれる」ものであり、王権の正当性は人の制度ではなく、神意そのものに根拠を持っていた。
3. 紂王の位置…「神意を求め続けた最後の王」
後世で紂王は、贅沢や暴虐、女色に溺れた暗君として描かれてきたが、殷墟から出土した甲骨文など20世紀以降の資料からは、生贄儀礼の整理・縮小、政治・軍事への関与、占いの継続をはかるなど、暴君とは言えない姿が浮かび上がっている。
むしろ紂王は、富と権力が貨幣流通などにより急激に集中し、「神意による王の選出」という体制が維持できなくなった時代においても、なお神意に王権の根拠を求め続けた最後の王であった可能性がある。
4. 周王朝の王権…「秩序として固定される王」
これに対し周王朝は、父子世襲を原則とする王統、宗法による一族秩序、封建制による支配構造、礼による社会規範を整備し、王権を制度として固定化した。
ここで持ち出されるのが「天命」思想であるが、それはもはや殷のように直接占って問われる神意ではなく、勝った者が天命を得たと「事後的に」解釈される神意である。
神はもはや政治の現場で語る存在ではなく、秩序を正当化する理念的保証人へと後退した。
5. 易姓革命の本質…「王権の根拠の転換」
このとき起きた易姓革命とは、王朝が交代したこと以上に、『王とは何者か、王権は何に支えられるのか』が根本から変わった革命であったと考えられる。
殷:
・神意によって選ばれる王
・王=巫であり司祭
・神は政治の現場にいる
・人の秩序 < 神意
周:
・血統と制度によって継承される王
・王=秩序の頂点としての君主
・神は理念として天に退く
・神意 < 人の秩序
すなわち易姓革命とは、神権的王権から秩序的・制度的王権への転換であり、神と共にある政治の終焉と、人間の秩序による政治の始まりを意味する文明史的断絶であった。
6. 結論 …「神の時代」から「人の時代」へ
易姓革命とは、悪王が倒された物語ではなく、王朝が徳で選ばれたという倫理説話でもなく、神が「隣にいた世界」から、神が「遠くに置かれる世界」への移行そのものであった。
紂王はその断絶点に立ち、神意の時代の最後の王として敗れ、周公旦は人の秩序の時代の設計者として歴史に刻まれた。
これが易姓革命の真の意味ではないだろうか。
#古代中国
#易姓革命
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メンタルしんどくなる〜〜

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