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ちゃこ
朝から検査だったから、昨夜20時以降から、水分も取れなくて、、うがいをしただけ‼️やっと終わったから、お昼ご飯食べたよー^_^
検査の結果、脾臓肥大が、なんとなんと治療のおかげで小さくなってたー👏あとは、毎食必ず私には、焼いた梅干しと、ブロッコリーが🥦出されてたから、抗酸化作用が爆上がり?!やはり、スーパーフードなんだね〜🙌 おかげ様で手術は中止になりました[照れる][照れる][照れる][照れる]あとは、白血球の数値がもう少し下がれば点滴も終了して、何と退院だよん[大泣き][大泣き][大泣き][大泣き] あとは、通院とお薬を飲んで、自宅療養を1ヶ月くらいすれば大丈夫でしょうって担当医に言われたー[大笑い][大笑い]退院してからも、毎日焼いた梅干しとブロッコリー🥦とプチトマトと、納豆、ほうれん草、玉ねぎを食べようと思う‼️ やった〜🙌 未来は明るい😀毎日、朝必ず私は治るし、私は大丈夫、私は強い💪って言葉を言い聞かせてたから、やっぱり言霊って大事だよね〜って改めて思った❤️
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見習いエルフ
もう少しあんなことやってあげればとか
後悔したり、申し訳なくなる
浮舟光雲
あまりなくて。
ひとりが好きで
静かな時間の方が落ち着く。
でも
温度のある言葉のやりとりが好き。
矛盾してますよね?
でも最近
それは執着じゃないと気づいた
誰かを欲しがっているわけでも、
一人を怖がっているわけでもない。
ただ、
「今」にちゃんと居た。
満たされている状態から
人と関わると
関係は驚くほど軽くなります。
奪わないし
縛られもしない。
それが
私にとって自然な在り方

ひろ✨
(Die Grenzen meiner Sprache bedeuten die Grenzen meiner Welt.)
を、表層的解釈 → 構造解析 → 哲学史的文脈 → バイアスとの関係 → 現代的射程
という順で徹底的に深掘りします。
⸻
Ⅰ.まず誤解されやすいポイントの整理
この言葉は、しばしば次のように誤読されます。
❌「語彙が少ないと世界が狭い」
❌「外国語を学べば世界が広がる」
これらは部分的には正しいが、本質ではない。
ウィトゲンシュタインが言っているのは、
言語とは、世界を“表現する手段”ではなく、
世界が“成立する条件”そのものである
という、認識論・存在論レベルの主張です。
⸻
Ⅱ.この言葉が出てくる文脈(超重要)
この命題は
『論理哲学論考(Tractatus Logico-Philosophicus)』
の中核命題の一つです。
トラクタトゥスの前提構造
ウィトゲンシュタイン(前期)は次のように考えました。
1. 世界とは「事実の総体」である
2. 事実は「事態(Sachverhalt)」の成立である
3. 言語は、事態を**写像(Bild)**する
4. 語り得ること=論理的に構造化可能なこと
5. 語り得ないこと=世界として現れない
👉 ここから出てくるのが、あの有名な結論です。
語り得ぬものについては、沈黙しなければならない
⸻
Ⅲ.「言語」とは何か(ここが核心)
1️⃣ 言語=ラベルではない
通常の素朴な理解では:
• 世界(客観)が先にあり
• 言語はそれに名前をつける
しかしウィトゲンシュタインは逆です。
2️⃣ 言語=世界を分節化する枠組み
言語とは:
• 何を「物」として切り出すか
• 何を「関係」として捉えるか
• 何を「事実」と認めるか
を事前に決めてしまう論理構造。
例:
• 「原因」「責任」「自由意志」
• 「正常/異常」
• 「成功/失敗」
👉
これらは自然に見えて、実は言語的構築物。
⸻
Ⅳ.なぜ「世界の限界」になるのか
世界とは「認識された世界」
ここで言う「世界」とは:
• 物理的宇宙 ❌
• 客観的実在 ❌
👉
「私にとって意味を持つ世界」
言語で切り取れないものは?
• 考えられない
• 比較できない
• 判断できない
• 問題として立ち上がらない
つまり、
存在していても、“世界に現れない”
これが「限界」です。
⸻
Ⅴ.バイアスとの決定的関係
ここからが、あなたの元の問い(バイアス)と直結します。
1️⃣ バイアスは「誤り」ではない
多くの人はこう考えます:
バイアス=現実からのズレ
しかし、ウィトゲンシュタイン的には:
バイアス=言語的世界構成の必然的帰結
2️⃣ 言語は価値を内蔵している
例:
• 「努力不足」
• 「普通」
• 「成功者」
• 「自己責任」
これらの言葉は:
• 記述 ❌
• 評価・規範・世界観を内包 ⭕
👉
言葉を使った瞬間に、
世界はすでに“方向づけ”られている
⸻
Ⅵ.後期ウィトゲンシュタインへの転回
前期では:
• 言語=論理構造
• 限界は形式的
後期(『哲学探究』)では:
• 言語=言語ゲーム
• 意味=使用(meaning is use)
重要な深化
言語の限界とは、
自分が属している「実践・生活形式(Lebensform)」の限界
つまり:
• 職業
• 文化
• 社会階層
• 専門領域
👉
立場が違えば、世界そのものが違う
⸻
Ⅶ.なぜ人は自分のバイアスに気づけないのか
理由はシンプルで深刻
言語は「世界を見る道具」ではなく
「世界が見えてしまう条件」だから
メガネをかけている人は、
• メガネを見ることはできない
• 見える世界が「素の世界」だと思う
👉
言語も同じ。
⸻
Ⅷ.哲学的に最も深い逆説
「私は偏っているかもしれない」
という思考自体が、
すでにある言語ゲームの内部にある
つまり:
• 完全にバイアスの外に立つ視点は存在しない
• 「客観性」も一つの言語的構築
これは:
• カントの超越論的条件
• フーコーのディスコース
• ハイデガーの世界内存在
と深く共鳴します。
⸻
Ⅸ.一文で極限まで圧縮すると
「私の言語の限界が、私の世界の限界である」とは、
私が“疑いなく当然だと思っている枠組み”こそが、
私の世界を最も強く縛っている、という告白である。
⸻
次の自然な問い
ここまで来ると、避けられない問いがあります。
• 言語の限界を越えることは可能か?
• 沈黙とは逃避か、抵抗か?
• 哲学はバイアスを壊すのか、別のバイアスを作るのか?
どこをさらに掘りますか?
ここから先は、かなり深いところまで行けます。

みな🇯🇵× 🇧🇷

脂のってるサーモン

SilentNigt

耳たぷ

みい
回答数 31>>
それは遊びだからとかではなく、何かを壊して
誰かに悲しい想いをさせてまで貫くものではないと思うからです。
お互いが必要な相手と感じる間は、一緒の時間を共有したい
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逡巡

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ボクハシラナカターはどんな作品?
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テーマ: 若者の心情や日常生活を描写し、共感を呼ぶ内容が多い。
スタイル: 短いフレーズや言葉遊びを用いて、シンプルながらも深いメッセージを伝える。
影響: SNS上での流行やトレンドを反映し、特にTwitterなどでの拡散が見られる。
この作品は、現代の若者が抱える悩みや喜びを軽やかに表現しており、共感を得やすい内容となっています。
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