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まくすうぇる
面白そうなので便乗して考えてみた
わがままと自分らしさの差を考える時にまずイメージするのは、他人の迷惑になっているか否かや良いこと悪いことの差
シンプルに、良くない影響がでるならわがままで悪い影響がでないなら自分らしさ、と考えることもできる
また別の視点でみると
わがままと自分らしさに使われる、自分というもののスタイルがちょっと異なるとおもう
わがままに使われる自己は意向や欲求などの動的で、自己の本質ではなく現象としての自己といった雰囲気がある
自分らしさに使われる自己は性質性格特性のような元々自分に備わっている固有のもの、自己の本質に近い部分のことを指していそう
それをちょっと転じて
わがままに使われる自己は、現状現実的で
自分らしさに使われる自己は、理想型的で不自然に精製されたもの、とも感じる
つまり現状の自分には良い所も悪い所もあるが、自分の良い部分だけを残し悪い部分を無くして
こういう自分でありたいとかこうあることが整っていると感じる姿のこと
こういう精製された自己は目標にするには良いが、実際にその姿で居続けることは難しく完璧に現実に落とし込むことができない机上の空論的でもあるとおもう
例えるなら、正しい姿勢というのは存在するしそれを参考にすると良い効果もあるが、四六時中正しい姿勢でいることは難しいし、すべての行動(蚊が飛んでるから叩こうとするとか)を姿勢よくやろう、とまでは出来ないだろう
なので、自分らしさに使われる自己がわがままに使われる自己よりも絶対的に良いとは一概には言えず、どちらもあっても良いし
ほどほどにわがままに振る舞うことも必要なんじゃないかなぁと思ったりもする
あとは、わがままに振る舞うは自分のスタンスを発すること
自分らしく生きるは自分らしくないを無くすこと
発揮か破棄かとか足すか減らすかのような、動きの方向性にも差があると感じるかも
ざっくりこんな感じですね
何かひとつの行動がわがままであるか自分らしさであるかは、どちらの要素も含んでいる場合が多いから簡単に判別できるものでもないなぁ
判別する必要も、もしかしたらないのかもしれない
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そら
ちいかわになりたかった

よく食べてよく寝るあまちゃん

🪇

☆〜(ゝ。∂)
𓅪@ネタバレ注意
古臭いとかレビューされがちなのを
見掛けるけどやっぱり聖剣伝説は
リングコマンドだったりあの戦闘形式が
好きなのよめちゃくちゃ落ち着くし
体験版やっててVISIONS of MANA
楽しいと思えたから
それにTRIALS of MANAもVISIONS of MANAも
聖剣伝説らしさはありながら
私にとっては凄く新しく感じるからね
SECRET of MANAも
スーファミオリジナル版を忠実に
残ってる部分とか好きだし
村の人達のみんなの会話がボイスありで
聞けるのは聖剣2好きにとっては
凄く嬉しいから
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なび

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🍀シグ
そしてドラマの周り結構色々あるのね
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